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シャルル・ブルターニュ・マリー・ド・ラ・トレモイユ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

シャルル(6世)・ブルターニュ・マリー・ド・ラ・トレモイユCharles (VI) Bretagne Marie de La Trémoille, 1764年3月24日 - 1839年10月10日)は、フランスの貴族・軍人。爵位はトゥアール公爵、ラ・トレモイユ公爵、ターラント公、タルモン公及びラヴァル伯[1]

トゥアール公ジャン・ブルターニュ・シャルル・ド・ラ・トレモイユと、ザルム=キルブルク侯フィリップ・ヨーゼフの娘マリー・マクシミリアーネの間の長男。パリ生。1789年にフランス革命が勃発すると国外に脱出し、王族コンデ公の率いるエミグレ軍英語版に所属した。エミグレ軍の解体後はロンドンで亡命生活を送るが、革命の終息と共に帰国した。

1781年7月10日、ルイーズ=エマニュエル・ド・シャティヨン(1763年 - 1814年)と最初の結婚をし、間に一女をもうける。

  • カロリーヌ(1788年 - 1791年)

1817年6月9日、マリー・ヴィルジニ―・ド・サン=ディディエ(1829年没)と再婚、間に二女をもうける。

1830年9月14日、アイルランド系のヴァランティーヌ・ウジェニー・ジョゼフィーヌ・ウォルシュ・ド・セラン(1810年 - 1887年)と再々婚し、間に一男一女をもうける。

  • マリー=アンリエット(1833年 - 1890年) - アンドレ・ド・グランマンジュと結婚
  • ルイ・シャルル(1838年 - 1911年) - トゥアール公

引用・脚注

[編集]
  1. ^ Almanach de Gotha, La Trémoïlle. Justus Perthes, 1944, p.463. French.