シャルル・フランソワ・ユタン
シャルル・フランソワ・ユタン Charles François Hutin | |
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シャルル・フランソワ・ユタンの彫刻、『カローン』 | |
生誕 |
1715年7月4日 フランス、パリ |
死没 |
1776年7月29日 ドイツ、ドレスデン |
シャルル・フランソワ・ユタン(Charles François Hutin、1715年7月4日 – 1776年7月29日)はフランスの画家、版画家、彫刻家である。1764年にザクセン選帝侯フリードリヒ・アウグスト3世の命令で設立されたドレスデンの美術学校(“Allgemeine Kunst-Academie der Malerey, Bildhauer-Kunst, Kupferstecher- und Baukunst”:「絵画、彫刻、銅版画、建築、総合芸術アカデミー」後のドレスデン美術大学)の初代校長に任じられた[1]。ルーブル美術館にある彫刻『カローン』などを製作した。
略歴
[編集]パリで生まれた。フランソワ・ルモワーヌに絵画を学び[2]、王立絵画彫刻アカデミーの大賞の2位となり、1736年から1743年の間、ローマに留学した。ローマでは、当時ローマで活動していた彫刻家の、ルネ=ミシェル・スロッツ(別名、ミケランジュ・スロッツ)から彫刻を学んだ。パリ戻り、1744年に彫刻作品を提出し、王立絵画彫刻アカデミーの会員となった。1746年に彼の彫刻の代表作『カローン』を製作した。ザクセン選帝侯に招聘され、1848年にドレスデンに兄弟のピエール・ユタンと移った。ドレスデンの美術ギャラリーの作品を模写し、ピエールも素描を描き、1750年からパリで版画にされて、「Dresden Gallery」(1753–57)として出版された。
1764年にドレスデンに「絵画、彫刻、銅版画、建築、総合芸術アカデミー」として美術学校が作られた時、初代の校長に任じられた。この学校は「ザクセン王立工芸学校」(Königlich Sächsische Kunstgewerbeschule)などに名前を変え、現在のドレスデン美術大学(Kunstakademie DresdenまたはHochschule für Bildende Künste Dresden)になる。1776年にドレスデンで亡くなるまで校長を務め、没後はジョヴァンニ・バティスタ・カサノヴァとヨハン・エレアザル・ツァイシッヒが後任を務めた。
作品
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『ザクセンの村人』
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『アームチェアの婦人』
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La Marchande de moutarde allemande
脚注
[編集]- ^ Hélène Guicharnaud. "Hutin." Grove Art Online. Oxford Art Online. Oxford University Press. Web. 6 Jan. 2017
- ^ Encyclopédie méthodique ou par ordre de matières.
参考文献
[編集]- Louis-Étienne Dussieux, Les Artistes français à l'étranger (Paris; Lyon, Jacques Lecoffre, 1876) pp. 89–91.
- Johann Rudolf Fuessli, Hans Heinrich Füssli: Allgemeines Künstlerlexikon. S. 584 (Digitalisat)
- Johann Gottfried Grohmann, Wilhelm David Fuhrmann: Neues historisch-biographisches Handwörterbuch. S. 424 (Digitalisat)
- Harald Marx: Hutin, Charles. In: Neue Deutsche Biographie (NDB). Band 10, Duncker & Humblot, Berlin 1974, ISBN 3-428-00191-5, S. 95 f. (電子テキスト版).
- Georg Kaspar Nagler: Neues allgemeines Künstler-Lexicon, Band 1, S. 374. (Digitalisat) (Mit Werksliste)