シャルル・ド・ロレーヌ (1648-1708)
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シャルル・ド・ロレーヌ Charles de Lorraine | |
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マルサン伯 | |
マルサン伯シャルルの銅版画、1696年制作 | |
出生 |
1648年4月8日 |
死去 |
1708年11月18日(60歳没) |
配偶者 | マリー・フランソワーズ・ダルブレ |
カトリーヌ・テレーズ・ド・ゴワイヨン・ド・マティニョン | |
子女 |
シャルル=ルイ ジャック=アンリ マリー |
家名 | ギーズ家 |
父親 | アルクール伯アンリ・ド・ロレーヌ |
母親 | マルグリット=フィリップ・デュ・カンブ |
シャルル・ド・ロレーヌ(Charles de Lorraine, comte de Marsan, 1648年4月8日 - 1708年11月18日)は、ブルボン朝時代フランスの大貴族家門ギーズ家の一員。マルサン伯。
生涯
[編集]アルクール伯アンリと妻マルグリット=フィリップ・デュ・カンブの間の末子。父からマルサン伯領を譲られ、セヴィニエ夫人によれば宮廷では「小さなマルサン(le petit Marsan)」の呼び名で通っていた[1]。1688年12月31日ヴェルサイユ宮殿において、2人の兄ルイ及びフィリップと共に、聖霊勲章を受けた。
1682年、陸軍元帥・ミオサン伯セザール・ダルブレの一人娘で相続人のマリー・フランソワーズ・ダルブレ(1650年 - 1692年)と結婚したが、間に子がなく死別。妻からポン、モルターニュ、ベデイユなど多くの所領を相続した。
1696年9月22日、カトリーヌ・テレーズ・ド・ゴワイヨン・ド・マティニョン(1662年 - 1699年)と再婚。トリニー伯爵の娘でモナコ公ジャック1世の叔母に当たるが、軍事大臣ルーヴォワ侯爵の姪であり、海軍大臣セニュレー侯爵の未亡人という立場の方が重要であった。マルサン伯はカトリーヌを通じて得られるセニュレー侯の資産を目当てに結婚したと言われた[1]。カトリーヌは3番目の子の出産時に死亡した。子供は以下の通り。
- シャルル=ルイ(1696年 - 1755年) - マルサン伯、ポン公
- ジャック=アンリ(1698年 - 1734年) -「シュヴァリエ・ド・ロレーヌ」、リクセム公、フィリップスブルク包囲戦で戦死
- マリー(1699年)
引用・脚注
[編集]- ^ a b Bruyère, Jean de La; Servois, Gustave Marie Joseph (1865). Oeuvres de La Bruyère, Volume 1 2010年7月21日閲覧。