コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

シャルル・ド・ブルゴーニュ (1414-1464)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
シャルル・ド・ブルゴーニュ
Charles de Bourgogne
ヌヴェール伯・ルテル伯
在位 1415年 - 1464年

出生 1414年
ヌヴェール伯領、クラムシー
死去 1464年5月24日
埋葬 ヌヴェール伯領、ヌヴェール、サン=シール・エ・サント=ジュリエット大聖堂
配偶者 マリー・ダルブレ
家名 ヴァロワ=ブルゴーニュ家
父親 ヌヴェール伯・ルテル伯フィリップ
母親 ボンヌ・ダルトワ
テンプレートを表示

シャルル・ド・ブルゴーニュCharles de Bourgogne, 1414年 - 1464年5月24日)は、中世フランスの貴族、王家傍系のヴァロワ=ブルゴーニュ家の一員。ヌヴェール伯およびルテル伯(在位:1415年 - 1464年)。

生涯

[編集]

ブルゴーニュ公フィリップ・ル・アルディの末息子であるヌヴェール伯およびルテル伯フィリップと、その2番目の妻でウー伯フィリップの娘であるボンヌ・ダルトワの間の長男として生まれた[1]。1415年にアジャンクールの戦いで戦死しした父の後を継ぎ、わずか1歳で2つの伯爵領を相続する。1425年に後見人だった母が死ぬと、母の再婚相手で実の従兄でもあるブルゴーニュ公フィリップ・ル・ボンの後見を受けた。成人後はフランス王家に仕え、本家筋のブルゴーニュ公爵家とは対立した。シャルル7世王の下でノルマンディー遠征(1449年 - 1450年)、ギュイエンヌ遠征(1451年 - 1453年)に参加している。

1456年6月11日にドルー伯シャルル2世の娘マリー・ダルブレ(1486年没)と結婚したが、間に嫡子を授からなかった。妾のヨランド・ド・ロンゴンとの間にアドリエンヌ・ド・ヌヴェールという庶出の娘をもうけている。1464年に死去すると、弟のエタンプ伯ジャンが後を継いだ。

脚注

[編集]
  1. ^ Miroslav Marek (10 September 2004). “Charles, Cte de Nevers et de Rethel(capet25:B1.)”. genealogy.euweb.. 2012年10月28日閲覧。
先代
フィリップ
ヌヴェール伯
ルテル伯
1415年 - 1464年
次代
ジャン