シャウエンブルク家
シャウエンブルク家(ドイツ語: Schauenburger)は、ドイツ諸侯の家系である。シャウムブルク家ともいわれる。シャウムブルク伯領およびホルシュタイン伯領を領した。ホルシュタイン伯領は後にホルシュタイン=イツェホー、ホルシュタイン=キール、ホルシュタイン=ピンネベルク(1640年まで)、および、ホルシュタイン=ゼーゲベルク、ホルシュタイン=レンズブルク(1460年まで)に分割された。また、のちにシュレーズヴィヒ公領も得た。
歴史
[編集]シャウエンブルク(シャウムブルク)の名は、同家の本拠地であったヴェーザー川沿いのリンテルン近くにあるシャウエンブルク城(のちシャウムブルク城)から名づけられた。1295年からは同家はシャウエンブルク伯を名乗った。アドルフ1世が1106年に初めてシャウエンブルク領主となった人物と考えられている。
1110年、シャウエンブルク領主アドルフ1世はザクセン公ロタールにより、ハンブルクを含むホルシュタインおよびシュトルマルンをレーエンとして与えられた。[1]
ホルシュタインはシュテラウの戦い(1201年)の後、デンマークに占領されたが、ボルンヘーフェトの戦い(1227年)においてシャウエンブルク伯らにより再び征服された。
1640年にオットー5世が嗣子なく死去した後、シャウエンブルク家は断絶した。ホルシュタイン=ピンネベルク伯領はホルシュタイン公領に併合された。本来のシャウムブルク伯領は、シャウエンブルク家の後継者の間で3つに分割相続された。それらのうち1つはブラウンシュヴァイク=リューネブルク公領に組み込まれ、1つはシャウムブルク=リッペ伯領に、もう1つはシャウムブルク伯領として存続し、ヘッセン=カッセル方伯により同君連合の形で統治された。
シャウエンブルク家の所領
[編集]- シャウムブルク伯領:1106年頃 - 1640年(ホルシュタイン伯領とともに領有、のち、ホルシュタイン=イツェホー、そしてホルシュタイン=ピンネベルクとともに領有)
- ホルシュタイン伯領(シャウムブルクとともに領有):1110年 - 1137年、1142年 - 1203年、1227年 - 1261年
- ホルシュタイン=キール伯領:1261年 - 1390年
- ホルシュタイン=イツェホー伯領(シャウムブルクとともに領有):1261年 - 1290年
- ホルシュタイン=ゼーゲベルク伯領:1273年 - 1315年、1397年 - 1403年
- ホルシュタイン=ピンネベルク伯領(シャウムブルクとともに領有):1290年 - 1640年
- ホルシュタイン=レンズブルク伯領:1290年 - 1459年
- シュレーズヴィヒ公領:1326年 - 1330年、1375年 - 1459年
系図
[編集]- ホルシュタイン伯
- 兼シュレースヴィヒ公
アドルフ1世 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
アドルフ2世 | マティルダ (シュヴァルツブルク伯ジッツォ3世娘) | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
アドルフ3世 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
アドルフ4世 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
メヒティルト 1=デンマーク王アーベル 2=スウェーデン摂政ビルイェル・ヤール | ヨハン1世 キール伯 | エリザベート (ザクセン公アルブレヒト1世娘) | ゲルハルト1世 イツェホー伯 | エリザベート (メクレンブルク公ヨハン1世娘) | エーリク5世 デンマーク王 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
アドルフ5世 ゼーゲベルク伯 | ヨハン2世 キール伯 | マルガレーテ (デンマーク王クリストファ1世娘) | ハイルヴィヒ =ブランデンブルク辺境伯オットー4世 | インゲボー (スウェーデン王ヴァルデマール娘) | ゲルハルト2世 プレン伯 | アグネス (ブランデンブルク辺境伯ヨハン1世娘) | アドルフ6世 ピンネベルク伯 | ヘレネ (ザクセン=ラウエンブルク公ヨハン1世娘) | リキサ | ニコラウス2世 ヴェルレ侯 | ハインリヒ1世 レンズブルク伯 | ヘルヴィヒ =スウェーデン王マグヌス3世 | ルイトガルト =リューネブルク公ヨハン | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
アドルフ7世 | ゲルハルト4世 | ヨハン3世 キール伯 | カタリーナ (グウォグフ公ヘンリク3世娘) | アドルフ7世 | ヘレネ =シュヴァルツブルク伯ハインリヒ9世 | ゾフィー | ゲルハルト3世 | アデルハイト =シュレースヴィヒ公エーリク2世 | エリーザベト 1=ザクセン=ラウエンブルク公ヨハン2世 2=エーリク(デンマーク王クリストファ2世子) | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
ゲルハルト5世 | アドルフ9世 | アンナ (メクレンブルク公アルブレヒト2世娘) | オットー1世 | マティルデ (リューネブルク公ヴィルヘルム2世娘) | ハインリヒ2世 | インゲボルク (メクレンブルク公アルブレヒト2世娘) | ニコラウス | エリーザベト (リューネブルク公ヴィルヘルム2世娘) | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
オルデンブルク家 | ホルシュタイン=ピンネベルク伯 | エリーザベト (リューネブルク公マグヌス2世娘) | ゲルハルト6世 | アルブレヒト2世 | ハインリヒ3世 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
ハインリヒ4世 | ディートリヒ オルデンブルク伯 | ハイルヴィヒ | アドルフ8世 | ゲルハルト7世 | アグネス (バーデン辺境伯ベルンハルト1世娘) | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
クリスチャン1世 デンマーク王 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
オルデンブルク朝 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
関連項目
[編集]脚注
[編集]- ^ Lemma Schauenburg/Schaumburg. In: Klaus-Joachim Lorenzen-Schmidt, Ortwin Pelc (Hrsg.): Schleswig-Holstein Lexikon. 2. Aufl., Wachholtz, Neumünster, 2006.
参考文献
[編集]- 下津清太郎 編『世界帝王系図集 増補版』近藤出版社、1982年
- Jiří Louda、Michael Maclagan、Lines of Succession、Little、Brown & Company、1981.
- Werner Krum、Schleswig- Holstein. Ein Reisebegleiter、Prestel Verlag、1989.