シネマテーク・スイス
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シネマテーク・スイス(La Cinémathèque suisse)は、公共事業を目的とした私立基金(fondation privée[1])であり、所在地はスイスのヴォー州ローザンヌ、2/3を公的資金でまかなわれている。
目的
[編集]- 映画起源であるものならなんであっても対象としたフィルム・アーカイヴを収集し、保存すること。
- コレクションの発展、保護、修復、公開につとめること。
- 「国立博物館」と「映画研究センター」を設立すること。
- 公共事業に徹し、いかなる利益目的もねらいとしないこと。
略歴
[編集]- 1943年10月1日、「レ・ザルシーヴ・シネマトグラフィック・スイス(les Archives Cinématographiques Suisses、スイス映画アーカイヴ)」をバーゼル=シュタット準州バーゼルに設立、しかし1948年4月、「過度に左翼的」と判断した責任者の意見を理由に、市当局は助成金をカットした。
- 1948年11月3日、ローザンヌのシネクラブの運営者クロード・エムリ(Claude Emery、1923年 - 1992年)とルネ・ファーヴル(René Favre、1923年 - 2003年)の主導により同基金はローザンヌへ移った。1949年5月、バーゼルからトラック2台で引越し。以来、基金はその決定的な名を名乗ることになる。1950年、ローザンヌ市からの最初の助成金を受ける。しかし当時、法的基盤はまだ不足していた。
- 1951年、フレディ・ビュアシュによる運営開始。
- 1966年、市内ベチュシーのコレージュの大聖堂ホールで、シネマテークの隔月上映開始。
- 1981年、市内カジノ・ド・モンブノンに移転し、そこに2つの上映ホールを有する。
- 1996年、エルヴェ・デュモンが館長に就任。ビュアシュは退く。
- 研究閲覧のためのサポート・ビデオへのフィルムの変換がシステム化する。また、イコノグラフィのデジタル・スキャンのプログラムが軌道にのった。
概要
[編集]ジャン=リュック・ゴダール監督の短篇映画『フレディ・ビュアシュへの手紙』(1981年)で、当時の館長ビュアシュともども一躍有名になったシネマテークである。
古典映画の修復と世界配給も行っており、1996年にはイタリアのボローニャとミラノのシネマテーク(チネテカ)と共同でニノ・オクシリア(Nino Oxilia)監督の『サタンのラプソディ Rapsodia satanica』(55分、1915年)、2005年にはジェルメーヌ・デュラック(Germaine Dulac)監督の『微笑むブーデ夫人 La Souriante Madame Beudet』(38分、1923年)を手がけている。
2005年現在、7万本の映画、200万枚の写真、10万枚のカラースライドと9万枚ポスターのコレクションを保有する。
関連事項
[編集]註
[編集]- ^ 日本の「財団法人」のようなものと思われる。
外部リンク
[編集]- Site officiel - 公式ウェブサイト /
- Les Amis de la Cinémathèque Suisse - 友の会
- Cinémathèque Suisse - IMDb