シティ・ヌルバヤ・バカール
シティ・ヌルバヤ・バカール Siti Nurbaya Bakar | |
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生年月日 | 1956年7月28日(68歳) |
出生地 | インドネシア、ジャカルタ |
出身校 |
ボゴール農科大学 国際空間情報科学地球観測研究所 ジーゲン大学 |
現職 | 政治家 |
配偶者 | ルスリ・ラフマン |
子女 |
メイトラ・ミヴィダ アナンダ・トパティ |
親族 |
モハンマド・バカール(父) スリ・バノン(母) |
在任期間 | 2014年10月27日 - 2024年10月20日 |
大統領 | ジョコ・ウィドド |
シティ・ヌルバヤ・バカール(インドネシア語: Siti Nurbaya Bakar, 1956年7月28日 - )は、インドネシアの政治家。2014年から2024年まで、同国第10代環境林業大臣を務めた。
経歴
[編集]1956年7月28日にインドネシア、ジャカルタにて警察官のモハンマド・バカールと、ランプン州出身のスリ・バノンの娘として誕生する[1]。ジャカルタの高校を卒業後、ボゴール農科大学で学び、工学の学位を取得。大学卒業後、1981年にランプン州の地域開発計画局に就職し、17年間勤務した。
1998年にジャカルタに戻り、内務省に勤務。2001年から2005年まで同省の事務局長を務めた。シティは、内務省の事務局長時代に消防車調達の取引で1億ルピアを受け取ったとされるが、そのプロジェクトはシティを通さずに大臣と同省の局長に関与していたとして、汚職撲滅委員会からは追及されなかった[2]。シティは、スシロ・バンバン・ユドヨノ大統領によって2006年から2013年まで地域代表議会の事務局長に任命された[3]。
2013年1月、シティは地域代表議会を辞任し、スルヤ・パロの国民民主党に入党した[4]。2014年、シティは下院議員に当選し、2014年から2019年のランプン州選挙区を代表した。同年10月27日に、ジョコ・ウィドド大統領によって環境林業大臣に任命された後、シティはすぐに下院議員を退任しなければならなかった。
2024年10月20日、プラボウォ・スビアントが大統領に就任し新内閣発足、2014年以来統合されていた環境林業省が再び分離し、環境大臣にはハニフ・ファイソル・ヌロフィクが、林業大臣にはラジャ・ジュリ・アントニがそれぞれ就任した。
脚注
[編集]- ^ “PROFIL Dr. Ir. Siti Nurbaya Bakar, M.Sc.”. VIVA.co.id 22 April 2018閲覧。
- ^ Sinaga, Odelia (22 October 2014). “Profil Siti Nurbaya, Calon Menteri Pendayagunaan”. Tempo.co 22 April 2018閲覧。
- ^ Rizal (27 October 2014). “Siti Nurbaya Menteri Lingkungan Hidup dan Kehutanan Sudah Terbiasa Pulang Malam”. Poskota Online 22 April 2018閲覧。
- ^ “Sekjen DPD Siti Nurbaya Mundur, Gabung Partai Nasdem”. VIVAnews. (25 January 2013) 22 April 2018閲覧。