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シェーン・ラーキン

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
シェイン・ラーキン
Shane Larkin
アナドル・エフェスSKでのラーキン(2018年)
アナドル・エフェスSK  No.0
ポジション PG
シュート 右手
基本情報
愛称 Sugar Shane
国籍 トルコの旗 トルコ
アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
生年月日 (1992-10-02) 1992年10月2日(32歳)
出身地 オハイオ州シンシナティ
身長 180cm (5 ft 11 in)
体重 80kg (176 lb)
ウィングスパン 180cm  (5 ft 11 in)[1]
キャリア情報
出身 マイアミ大学 (フロリダ州)
ドラフト 2013年 18位
選手経歴
2013-2014
2014-2015
2015-2016
2016-2017
2017-2018
2018-
ダラス・マーベリックス
ニューヨーク・ニックス
ブルックリン・ネッツ
スペインの旗 サスキ・バスコニア
ボストン・セルティックス
トルコの旗 アナドル・エフェスSK
受賞歴
Stats ウィキデータを編集 Basketball-Reference.com
Stats ウィキデータを編集 NBA.com 選手情報 NBA.Rakuten
代表歴
キャップ トルコの旗 トルコ 2020-

デシェイン・デイビス・ラーキンDeShane Davis Larkin 1992年10月2日 - )は、アメリカ合衆国オハイオ州シンシナティ生まれ、フロリダ州オーランド出身のバスケットボール選手。アナドル・エフェスSK所属。トルコ代表

父は元MLBシンシナティ・レッズの名遊撃手で、アメリカ野球殿堂入りのバリー・ラーキンである[2]

来歴

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父のバリーがシンシナティ・レッズでプレーしていた関係で、オハイオ州シンシナティで生まれた。但しMLBのオフシーズンは、自宅のあるフロリダ州オーランドで過ごすという生活を送っていた。父の引退後はオーランドで生活することになる。シェーンは偉大な父の後を追い、野球を始めたが、それと同時にバスケットボールもするようになった。 しかし、中学生の時にリトルリーグのコーチとソリが合わずに野球を止め、バスケットボールに専念することになる[3]

地元オーランドの高校で活躍したラーキンは、マイアミ大学でも中心選手として活躍し、2013年のNBAドラフトにアーリーエントリーを表明。ドラフトでは18位でアトランタ・ホークスから指名されたが、直後のトレードで交渉権がダラス・マーベリックスに移動した。しかしサマーリーグで左足首を骨折してしまい[4]、その影響でルーキーシーズンは45試合の出場に止まった。

2014年7月、大型トレードでニューヨーク・ニックスに移籍[5]。シーズン開幕戦の10月29日のシカゴ・ブルズ戦でスタメン出場を果たした。

2015年7月2日、ブルックリン・ネッツと2年300万ドルで契約[6]。シーズン終了後にプレーヤーオプションを行使せず、自身の価値を確かめる為にFAとなったものの、NBAチームからのオファーを獲ることは出来なかった。

2016年8月10日、リーガACBの強豪サスキ・バスコニアと契約[7]。2017年5月14日、2016-17シーズンのリーガ2ndチームに選出された[8]

2017年7月20日、ボストン・セルティックスと契約し、1年でNBA復帰を果たした[9]。しかし、NBA復帰は1年で終わり、2018年からはアナドル・エフェスSKでプレーしている。

プレースタイル

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公称180cmと、NBAの中では小柄な部類に入るため、ディフェンス面で苦戦を強いられることもある。オフェンスの方は鋭いペネトレイトで相手を攪乱するなど、ポイントガードとしては非凡な面も持ち合わせているが、先発起用では心許ないと評価されている。もっとゲームメイクを学ぶ必要性があるとされており、ホセ・バレアのようなコンボガードを目指すべきだという見方もある。

トルコ代表

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2019年12月、トルコ市民権取得の可能性が報じられ[10]、2020年2月にトルコ国籍を取得した。2020年11月27日、ユーロバスケット2022の予選クロアチア戦で代表デビュー。

脚注

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外部リンク

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