ザ・クロス (バンド)
ザ・クロス | |
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1990年、ドイツのステージにて。左から右へ、クレイトン・モス、ロジャー・テイラー、ピーター・ヌーン | |
基本情報 | |
出身地 | イングランド |
ジャンル | |
活動期間 | |
レーベル | |
公式サイト | ロジャー・テイラー公式サイト |
メンバー |
ザ・クロス(英: The Cross)は、クイーンのドラマー、ロジャー・テイラーによるソロプロジェクト。1987年から1993年の間に活動し、3枚のアルバムを発表した[2]。
概要
[編集]1986年の「マジック・ツアー」の終了後に活動を休止したクイーンだが[3][4]、直後からテイラーはアルバム制作に向けて作曲・レコーディングに入っていた。同時進行でバンドメンバーを募集しているが、クイーンのツアーにおいてもサポートキーボーディスト/ギタリストを務めたスパイク・エドニー[5]の起用を除き、他のメンバーに関しては公募の形を取った[6]。オリジナルメンバーのギタリストのクレイトン・モス (Clayton Moss) 、ベーシストのピーター・ヌーン (Peter Noone) 、ドラムスのジョシュ・マクレーはまだ確定メンバーではなかった[7]。テイラーはドラムスではなくフロントマンとしてリズムギターとリード・ヴォーカリストを務めることになった[8][9]。
クイーンではドラムスを担当していたテイラーだが、ザ・クロスではフロントマンとしてリズムギターとリード・ヴォーカリストを務めている[8]。デビューアルバムでは、クラシックロックをダンス・ミュージックと融合させ、続く2作でもダンスミュージックを意識した作りを見せた。作品はイギリスで数回チャートインし[10]、ドイツでは一定度の成果を挙げた一方で、商業的に成功を収めることはなかったが、クイーンの熱心なファンの間では名が知られる存在であり続けている。
第1アルバム『夢の大陸横断』
[編集]最初のアルバム『夢の大陸横断』"Shove It" はヴァージン・レコードから1987年に発売されたが、全曲がテイラーの手によるものだった[11][12][13]。うち2曲にはクイーンのメンバーが関与している。まず『ヘヴン・フォー・エヴリワン』ではフレディ・マーキュリーがヴォーカルとして参加している(アルバムのアメリカ版ではバックヴォーカル、ヨーロッパ版ではリードヴォーカル)[14]。この曲はクイーンのアルバム『カインド・オブ・マジック』(1986年)の収録中に書かれたもので、後にマーキュリーがリードヴォーカルを務めたバージョンがアルバム『メイド・イン・ヘヴン』(1995年)に収録されたほか、シングルカットされて各国で大ヒットした[14][15][16]。また "Love Lies Bleeding (She Was A Wicked, Wily Waitress)" にはブライアン・メイがギターで参加した[11]。ヨーロッパ版のCDには、カセット・LPには未収録の追加トラックとして "The 2nd Shelf Mix"("Shove It" のリミックス)が収録されており[11]、アメリカ版には "Feel The Force" が追加トラックとして収められている[13]。大部分はテイラー本人のソロ企画でもあり(テイラーはバンド組織前にも数曲を書いていた)、このアルバムとシングルカットされた3枚はイギリスでチャートインし、いくつか好意的な批評も得た。
バンドは特にドイツで熱心に宣伝活動を行い、1988年のローズ・ドール(モントルー・ゴールデン・ローズ・フェスティバル)に参加するなど、数多くのテレビ出演を重ねた。バンドはアルバムを引っ提げてイギリス・ドイツでツアーを行ったが、テイラーはクイーンのアルバム『ザ・ミラクル』(1989年)制作のため小休止を取り、この期間ツアーは行われなかった[17]。
このアルバムからは、『カウボーイズ・アンド・インディアンズ』"Cowboys and Indians"、『ヘヴン・フォー・エヴリワン』、"Shove It"(日本語題『夢の大陸横断』)の3曲がシングルカットされた。1988年には別のシングル "Manipulator" も発売されているが[17]、この曲はどのアルバムにも収録されていない。この曲は、テイラーとエドニー、スティーヴ・ストレンジ (Steve Strange) の共作になっており、発売時点でテイラー以外の人物がクレジットされる唯一の曲でもあった。
第2アルバム『マッド・バッド・ロックンローラー』
[編集]クイーンによる1989年のアルバム『ザ・ミラクル』完成後、テイラーはザ・クロスの他メンバーと共にスタジオに戻り、第2アルバム『マッド・バッド・ロックンローラー』"Mad, Bad and Dangerous to Know"[18]の収録に取り掛かった。第1曲目の『トップ・オブ・ザ・ワールド・マ』"Top Of The World Ma" はバンド全員で創り上げられた曲だが、その他はマクレー・ヌーン・モスが共作した『パワー・トゥ・ラヴ』"Power To Love" を除き、メンバーが個々書き上げる方式がとられた。クレイトン・モスは自身が書いた『ベター・シングス』"Better Things" でリードヴォーカルを務め[18]、スパイク・エドニーはテイラーが書いた『ファイナル・デスティネーション』"Final Destination" でマンドリンを演奏した。『ファイナル・デスティネーション』、『ライアー』"Liar"、『パワー・トゥ・ラヴ』"Power To Love" はシングルとしても発売され、中でも『パワー・トゥ・ラヴ』は、バンドがイギリスで出した最後のシングルとなった。『ファイナル・デスティネーション』のB面には、テイラーの曲『マン・オン・ファイア』"Man On Fire" のライヴ演奏が収められ、ヌーンによる『ライアー』には、テイラーと共筆した新曲『イン・チャージ・オブ・マイ・ハート』"In Charge Of My Heart" が収められた。『ライアー』の12インチシングルとCDには、『ライアー』と『イン・チャージ・オブ・マイ・ハート』のエクステンデッド・リミックスも収録された。また『イン・チャージ・オブ・マイ・ハート』冒頭のインストゥルメンタル部分は、ツアーのオープニングにも使われた。エドニーによる『クローサー・トゥ・ユー』"Closer To You" はアメリカでの発売も考えられていたが、その話が再度俎上に上がることはなかった。この頃グループはイギリス市場での展開を諦めた様子で、アルバムを引っ提げたツアーはドイツ、オーストリア、スイス、イビサでのみ行われた。このようなツアーにしては珍しく、アルバム収録の全曲がライヴで演奏された。
第3アルバム『ブルー・ロック』
[編集]テイラーの活動の主軸がクイーンの方へ移ったことで、第3アルバム『ブルー・ロック』(1991年)[19]では、他のメンバーが制作の主導権を握れるようになった。このアルバムでは多くをエドニーが書き、自身のみで3曲、共筆で4曲を完成させた[19]。第1曲目は今回もバンド全員で書き下ろしたもので、この曲『バッド・アティテュード』"Bad Attitude" は、1990年のクリスマスに行われたファンクラブパーティで途中まで書かれたものだった。このアルバムはEMIに発売を拒否され、売り上げがそこそこ堅調だったドイツで、EMIの支局にあたるEMIエレクトローラが発売した(但しプロモ盤はイタリアと日本で発売された)。発売日は1991年9月9日であった[20]。テイラーによる『ニュー・ダーク・エイジズ』"New Dark Ages" は、『マン・オン・ファイア』の新しいライヴ演奏版と合わせてドイツで発売されたほか、『ライフ・チェンジズ』"Life Changes" はB面に『ハートランド』"Heartland" を付けて発売された。しかしながら、これは1991年11月のフレディ・マーキュリーの死ですぐ中止された。ツアーはマグナムをサポートに迎えて行われたが、45分という短さで、ごく少数のブートレグが残されているだけである。またツアーは1ヶ月で20公演を行うという忙しいものだった。
1992年12月22日に行われたライヴでは、テイラーがかつて所属していたクイーンの前身バンド・スマイルが再結成した[21][22][23]。メイはスマイルでの2曲に加えて数曲を演奏した[24]。
バンド活動の破綻
[編集]バンドは1993年に最後のショーを行った後解散した。テイラーはクイーンとしての活動を続けつつ、ソロアルバムも出している[25]。ドラマーのマクレーはテイラーのソロ・ツアーに帯同したほか、1992年に行われたフレディ・マーキュリー追悼コンサートではパーカッションを演奏した[26]。テイラーとエドニーはクイーン+ポール・ロジャースのツアーに参加したほか[27][28]、マクレーは舞台裏でサウンド・エンジニアやPro Toolsのエンジニアとして働いた[29]。1990年代後半には、エドニーが「SASバンド」(SAS Band; "Spike's All Stars") と銘打ったバンドを結成している。
2013年のリユニオン・コンサート
[編集]2013年7月23日、スパイク・エドニーは自身のFacebookページで、ザ・クロスが同年12月7日に一夜限りのリユニオンを果たし、ギルフォードのG Liveでコンサートを行うと発表した[30]。ザ・クロスがコンサートを行うのは実に21年ぶりのことであった[31]。この時のセットリストは以下の通りだった[32]。
- In Charge of My Heart
- Top of the World Ma
- New Dark Ages
- Man On Fire
- Ain't Put Nothin Down
- Liar
- Dirty Mind
- Cowboys and Indians
- Power To Love
- Heaven For Everyone
- Sister Blue
- Final Destination
また、2014年にはクイーンの公式YouTubeアカウントにて、バンドのプロモーションビデオが公開された[33]。
メンバー
[編集]- ロジャー・テイラー - リードヴォーカル、リズムギター
- スパイク・エドニー - キーボード、マンドリン、バックヴォーカル
- クレイトン・モス (Clayton Moss) - リードギター、バックヴォーカル、(リードヴォーカル - 『ベター・シングス』"Better Things" と『ハートランド』 "Heartland" にて)
- ピーター・ヌーン (Peter Noone) - ベースギター、バックヴォーカル、(リードヴォーカル - 『ハートランド』 "Heartland" にて)
- ジョシュ・マクレー - ドラムス、パーカッション、バックヴォーカル
ツアー
[編集]1988年:Shove It
[編集]- イングランド
- 1988年2月21日 - レスター、レスター・ポリテクニック
- 1988年2月23日 - シェフィールド、シェフィールド・ポリテクニック
- 1988年2月24日 - ノッティンガム、ロック・シティ
- 1988年2月26日 - マンチェスター、マンチェスター大学
- 1988年2月27日 - ブラッドフォード、ブラッドフォード大学
- 1988年2月28日 - ニューカッスル、ザ・メイフェア (The Mayfair)
- 1988年3月1日 - サウサンプトン、ザ・メイフェア・スート (The Mayfair Suite)
- イングランド
- 1988年3月4日 - ノリッジ、イースト・アングリア大学
- 1988年3月5日 - バーミンガム、ザ・ハミングバード (The Hummingbird)
- 1988年3月6日 - リーズ、リーズ大学
- 1988年3月7日 - ブリストル、ブリストル・スタジオ (Bristol Studio)
- 1988年3月9日 - ギルフォード、ギルフォード・シヴィック (Guildford Civic)
- 1988年3月10日 - ロンドン、ザ・タウン&カントリー・クラブ (The Town & Country Club)
- 1988年4月11日 - ブレーメン、モダーンス (Modernes)
- 1988年4月12日 - ハンブルク、マルクトハレ・ハンブルク
- 1988年4月13日 - ベルリン、メトロポル (Metropol)
- 1988年4月14日 - ミュンヘン、テアーターファブリーク
- 1988年4月16日 - エアランゲン、E-Werk
- 1988年4月17日 - フランクフルト、旧オペラ座(ムジーク・ハレ・フランクフルト / Music-Hall Frankfurt)
- 1988年4月18日 - ハノーファー、カピトル
- 1988年4月19日 - エスリンゲン、Club Music & Action
- 1988年4月20日 - マンハイム、カピトル
- 1988年4月21日 - デュッセルドルフ、トーア3 (Tor 3)
- 1988年4月23日 - ドルトムント、ヴェストファーレンハレII (Westfallenhalle II)
- 1988年4月24日 - ボン、ビスクヴィートハレ (Biskuithalle)
1990年:Mad, Bad & Dangerous To Know
[編集]- 1990年4月1日:スイス、ジュネーヴ - フェスティヴァル・フォー・ライフ (Festival For Life)
- 1990年5月21日:ドイツ、ハノーファー - カピトル (Capitol)
- 1990年5月22日:ドイツ、ボン - ビスクヴィートハーレン (Biskuithallen)
- 1990年5月23日:ドイツ、ドルトムント - ブリックプンクトシュトゥーディオス (Blickpunktstudios)
- 1990年5月24日:ドイツ、ゲッティンゲン - アウトポスト (Outpost)
- 1990年5月26日:ドイツ、ハンブルク - ドックス
- 1990年5月27日:ドイツ、キール - マックス・ミュージック・ホール (Max Music Hall)
- 1990年5月28日:ドイツ、ベルリン - メトロポル (Metropol)
- 1990年5月29日:オランダ、アムステルダム - デ・メルクヴェク (De Melkweg)
- 1990年5月30日:ドイツ、ノイ=イーゼンブルク - フゲノッテンハレ (Hugennottenhalle)
- 1990年6月1日・2日:スペイン、イビサ - クー・クラブ (Ku Club)
- 1990年6月3日:ドイツ、ザンクト・ヴェンデル - ボーゼンバッハシュタディオン (Bosenbachstadion)
- 1990年6月4日:ドイツ、ニュルンベルク - ゼレナーデホッフ (Serenadenhof)
- 1990年6月5日:ドイツ、トゥトリンゲン - アカンツ (Akantz)
- 1990年6月6日:ドイツ、マンハイム - アルテ・フォイヤーヴァッヒェ (Alte Feuerwache)
- 1990年6月7日:ドイツ、ビーレフェルト - PC69
- 1990年6月8日:ドイツ、シュトゥットガルト - テアーターハウス・ヴァンゲン (Theaterhaus Wangen)
- 1990年6月15日:オーストリア、ウィーン - ドーナウインゼル (Donauinsel)
1991年:Blue Rock
[編集]- 1991年10月3日:フィンランド、ヘルシンキ - Tavastia Club
- 1991年10月5日:スウェーデン、Hultsfred - Hagadal
- 1991年10月7日:スウェーデン、ヨーテボリ - Konserthuset
- 1991年10月9日:ドイツ、ハノーファー - ミュージック・ホール (Music Hall)
- 1991年10月10日:ドイツ、ヘルフォルト - ロック・ヘヴン (Rock Heaven)
- 1991年10月11日:ドイツ、ハンブルク - ドックス (Docks)
- 1991年10月12日:ドイツ、ブレーメン - アストリア (Astoria)
- 1991年10月13日:ドイツ、ベルリン - テンポドローム (Tempodrom)
- 1991年10月14日:ドイツ、ホーフ - フライハイツハレ (Freiheitshalle)
- 1991年10月15日:ドイツ、ミュンヘン - サーカス・クローネ (Circus Krone)
- 1991年10月16日:ドイツ、メミンゲン - シュタットハレ (Stadthalle)
- 1991年10月18日:スイス、チューリヒ - フォルクスハウス
- 1991年10月20日:ドイツ、アッペンヴァイアー - シュヴァルツヴァルトハレ (Schwarzwaldhalle)
- 1991年10月21日:ドイツ、ヴェルトハイム - マインタウバーハレ (Maintauberhalle)
- 1991年10月22日:ドイツ、オッフェンバッハ - シュタットハレ (Stadthalle)
- 1991年10月23日:ドイツ、デュッセルドルフ - フィリップスハレ (Philipshalle)
- 1991年10月24日:ドイツ、エアランゲン - シュタットハレ (Stadthalle)
- 1991年10月25日:ドイツ、ディーテンハイム - フェストハレ (Festhalle)
- 1991年10月26日:ドイツ、エルンテブリュック - スポートハレ・バーケルバッハ (Sporthalle Birkelbach)
- 1991年10月27日:ドイツ、ルートヴィヒスブルク - フォールム (Forum)
ディスコグラフィ
[編集]スタジオ・アルバム
[編集]年 | タイトル | イギリス[34] | ドイツ[35] |
---|---|---|---|
1988年 | 夢の大陸横断 Shove It |
58 | - |
1990年 | マッド・バッド・ロックンローラー Mad, Bad and Dangerous to Know |
- | 48 |
1991年 | ブルー・ロック Blue Rock |
- | - |
シングル
[編集]年 | タイトル | イギリス[34] | ドイツ[35] | 収録アルバム |
---|---|---|---|---|
1987年 | カウボーイズ・アンド・インディアンズ "Cowboys and Indians" |
74 | - | 夢の大陸横断 Shove It |
1988年 | 夢の大陸横断 "Shove It" |
83 | - | |
ヘヴン・フォー・エヴリワン "Heaven for Everyone" |
84 | 68 | ||
マニピュレーター "Manipulator" |
- | - | アルバム未収録 | |
1990年 | パワー・トゥ・ラヴ "Power to Love" |
83 | - | マッド・バッド・ロックンローラー Mad, Bad and Dangerous to Know |
ライアー "Liar" |
- | - | ||
ファイナル・デスティネーション "Final Destination" |
- | - | ||
1991年 | ニュー・ダーク・エイジズ "New Dark Ages" |
- | - | ブルー・ロック Blue Rock |
ライフ・チェンジズ "Life Changes" |
関連項目
[編集]脚注
[編集]注釈
[編集]出典
[編集]- ^ a b c d e Orens, Geoff. Cross | Biography & History - オールミュージック. 2021年6月17日閲覧。
- ^ “Roger Taylor: Rock and Roll Funster (Interview)”. Rock Cellar Magazine. Rock Cellar Magazine. 2018年12月15日時点のオリジナルよりアーカイブ。18 March 2015閲覧。
- ^ The Cross - Biography - オールミュージック. 2018年12月15日閲覧。
- ^ “『THE MIRACLE / ザ・ミラクル』”. uDiscoverMusic. 2018年12月15日閲覧。
- ^ “Queen's Spike Edney - Behind the scenes with the Korg Kronos”. コルグ (2014年12月9日). 2018年12月15日閲覧。
- ^ Lemieux & Unger 2018, p. 89- Googleブックス(2018年12月15日閲覧。)
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- ^ “The Cross”. オフィシャル・チャーツ・カンパニー. 2018年12月15日閲覧。
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- ^ “クイーンのロジャー・テイラー率いるザ・クロスが20年ぶりに復活、再結成ライヴを開催”. amass.jp (2013年12月8日). 2018年12月15日閲覧。
- ^ “ロジャー・テイラー率いるザ・クロス 「Cowboys And Indians」の未発表PV等を公開”. amass.jp (2014年3月18日). 2018年12月15日閲覧。
- ^ a b “QueenOnline Message Board :: View topic - Queen / Solos UK & US (Y MORE) Chart History”. 2008年9月29日時点のオリジナルよりアーカイブ。 Template:Cite webの呼び出しエラー:引数 accessdate は必須です。
- ^ a b “Charts-Surfer”. 2008年12月16日時点のオリジナルよりアーカイブ。 Template:Cite webの呼び出しエラー:引数 accessdate は必須です。
参考文献
[編集]- Blake, Mark (2011年3月22日). Is This the Real Life?: The Untold Story of Queen. Hachette UK 2018年12月15日閲覧。
- Lemieux, Patrick; Unger, Adam (2018年4月14日). The Queen Chronology (2nd Edition). Lulu.com. ISBN 9781926462103