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ザクセン=レムヒルト

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ザクセン=レムヒルト公国
Herzogtum Sachsen-Römhild
ザクセン=ゴータ公国 1675年 - 1710年 ザクセン=ゴータ=アルテンブルク公国
ザクセン=コーブルク=ザールフェルト公国
ザクセン=ヒルトブルクハウゼン公国
ザクセン=マイニンゲン公国
ザクセン=レムヒルト公国の国章
(国章)
ザクセン=レムヒルト公国の位置
首都 レムヒルト
公爵
1675年 - 1710年 ハインリヒ
変遷
成立 1675年
消滅1710年

ザクセン=レムヒルトドイツ語: Sachsen-Römhild)は1680年から1710年まで存在した、ヴェッティン家エルネスティン系が統治した公国。領土は現ドイツテューリンゲン州テューリンゲンの森南部の一部にあたる。

歴史

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レムヒルト英語版にあるグリュックスブルク城

1675年、ザクセン=ゴータ公エルンスト1世ゴータで死去した。ザクセン=ゴータは1680年2月24日に彼の7人息子の間で分割され、そのうち四男ハインリヒはザクセン=レムヒルトを獲得した。公国の領土はレムヒルト英語版ケーニヒスベルク(1683年にザクセン=ヒルトブルクハウゼンに割譲)、テマル英語版ベールンゲン英語版ワイナリーミルツ英語版の修道院、そしてメスペルブルンのエヒター家(Echter)の遺産でヴェッティン家が1665年に獲得した土地であった。しかし公国の統治はハインリヒの長兄でゴータにいるザクセン=ゴータ=アルテンブルクフリードリヒ1世英語版によって行われ、ハインリヒには実権がなかった。

1710年、ハインリヒが子供のないまま死去すると、遺領はザクセン=ゴータ=アルテンブルク、ザクセン=コーブルク=ザールフェルトザクセン=マイニンゲン、ザクセン=ヒルトブルクハウゼンの間で分割された。ザクセン=ゴータ=アルテンブルクはテマル区の12分の7を、ザクセン=コーブルク=ザールフェルトはテマル区の12分の5とレムヒルト区の3分の1を、ザクセン=マイニンゲンはレムヒルト区の3分の2を、ザクセン=ヒルトブルクハウゼンは残り(ベールンゲンのワイナリー、ミルツ、エヒター家の遺産)を獲得した。

1826年にエルネスティン家の諸公国が再編されると、ザクセン=レムヒルトの旧領は全てザクセン=マイニンゲン領になった。

ザクセン=レムヒルト公の一覧

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脚注

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参考文献

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  • (ドイツ語) Georg [Karl Friedrich Viktor] von Alten, Handbuch für Heer und Flotte, Band XIII [Handbook for the Army and Navy, Volume XIII] (Berlin, Leipzig, Wien, Stuttgart: Bong & Co., 1913)
  • (ドイツ語) Hans Patze, Walter Schlesinger (ed.), Geschichte Thüringens, 5. Band, 1. Teil, 1. Teilbd.: Politische Geschichte in der Neuzeit [History of Thuringia, Volume 5, Part 1, Chapter 1: Political History in the Modern Times] (Cologne: Böhlau, 1982)
  • (ドイツ語) Verein für Sachsen-Meiningische Geschichte und Landeskunde [Association of the History and Culture of Saxe-Meningen] (ed.): Neue Landeskunde des Herzogtums Sachsen-Meiningen, 9, B, Geschichtliches; Teil 1: Thüringische Geschichte [New State History of the Duchy of Saxe-Hildburghausen, 9, B, Histories; Part 1: Thuringian History] (Hildburghausen: Kesselbring, 1903)