サン=ミシェル (ピレネー=アトランティック県)
表示
サン=ミシェル(フランス語: Saint-Michel)は、フランス、ヌーヴェル=アキテーヌ地域圏、ピレネー=アトランティック県のコミューン。バスク語ではエイヘララレ(Eiheralare)と呼ばれる。
Saint-Michel | |
---|---|
行政 | |
国 | フランス |
地域圏 (Région) | ヌーヴェル=アキテーヌ地域圏 |
県 (département) | ピレネー=アトランティック県 |
郡 (arrondissement) | バイヨンヌ郡 |
小郡 (canton) | モンターニュ・バスク小郡 |
INSEEコード | 64492 |
郵便番号 | 64220 |
市長(任期) |
レイモン・ミノンド (2020年 - 2026年) |
自治体間連合 (fr) | fr:Communauté d'agglomération du Pays Basque |
人口動態 | |
人口 |
295人 (2017年) |
人口密度 | 9.7人/km2 |
住民の呼称 | Eiheralartar[1] |
地理 | |
座標 | 北緯43度08分13秒 西経1度13分12秒 / 北緯43.1369度 西経1.22度座標: 北緯43度08分13秒 西経1度13分12秒 / 北緯43.1369度 西経1.22度 |
標高 |
最低:177 m 最高:1417 m |
面積 | 30.30km2 |
地理
[編集]サン=ミシェルはフランス領バスクのバス=ナヴァール、シーズ(バスク語でガラシ)地区の一部であり、その南端はスペインに接している。
交通
[編集]フランス県道D 301が通っている。
河川
[編集]サン=ミシェルを流れる主な河川はニーヴ川である。また、以下の支流がコミューン内を流れている。
- オリオン川(le ruisseau d'Orion)
- メンディオラ川(le ruisseau de Mendiola)
- オラベリ川(le ruisseau d'Olhaberry)
- ラチャリタコ川(le Latsarritako erreka)
- ウルチピア川(l'Urtchipia)
この他に、ニーヴ・ダルネギー川の支流であるランダレタ川(le ruisseau d Landarréta)とスリッツ川(le ruisseau de Sourits)も通っている。
地域
[編集]以下の地域がある。
- シャトー=ピニョン(Château-Pignon)
- ドミンゴエネア(Domingoénéa)
- オント(Honto)
- カバーヌ・ド・ラロンド(Cabanes de Larrondo)
- オリソン(Orisson)
- サパタエニア(Sapataenia)
- タンブリンデヤ(Tambourindeya)
- セルクペ(Zerkupe)
隣接する自治体
[編集]- 北:サン=ジャン=ピエ=ド=ポル、サロ(Çaro)、アインシル(Aincille)
- 東:ウアルト=シーズ(Uhart-Cize)、アルネギー(Arnéguy)
- 南:スペインナバラ州ララウン(Larraun)
- 西:エステレンスビ(Estérençuby)
地名
[編集]サン=ミシェルは、古くは以下のように呼ばれていた[2]。
- Villa sanctis michaelis(1140)
- Saint-Michel-Pied-de-Port(1140 Aymeri Picaud)
- Sant miguel lo vieyl(1350)
- San-Miguel-el-Viejo en Ultra Puertos (1500, chapitre de Bayonne),
- Sant-Miguel (1513, titres de Pampelune),
- Nive-Montagne(1792)
- Saint-Michel-en-Cize / Saint-Michel-d'Orisson(1975, Philippe Veyrin)
歴史
[編集]フィリップ・ヴェイランによれば、サン=ミシェルの身分証書は1660年までカスティーリャ語のみで書かれていた。これはサン=ジャン=ル=ヴィユーと同じである。
1842年6月11日、コミューンの一部が分離してエステレンスビが発足した。
シャトー=ピニョンの戦い
[編集]1793年6月6日、フランス革命政府軍とスペイン軍の戦闘があった(フランス革命戦争)。
出典
[編集]- ^ - Académie de la langue basque
- ^ Paul Raymond, Dictionnaire topographique Béarn-Pays basque.