サン=パビュ
Saint-Pabu | |
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行政 | |
国 | フランス |
地域圏 (Région) | ブルターニュ地域圏 |
県 (département) | フィニステール県 |
郡 (arrondissement) | ブレスト郡 |
小郡 (canton) | プルダルメゾー小郡 |
INSEEコード | 29257 |
郵便番号 | 29830 |
市長(任期) |
ロイク・ゲガントン (2008年 - 2014年) |
自治体間連合 (fr) | fr:Communauté de communes de Plabennec et des Abers |
人口動態 | |
人口 |
1999人 (2010年) |
人口密度 | 201人/km2 |
地理 | |
座標 | 北緯48度33分52秒 西経4度35分47秒 / 北緯48.5644444444度 西経4.59638888889度座標: 北緯48度33分52秒 西経4度35分47秒 / 北緯48.5644444444度 西経4.59638888889度 |
標高 |
平均:m 最低:0 m 最高:57m |
面積 | 9.94km2 |
公式サイト | Site de la commune |
サン=パビュ (Saint-Pabu、ブルトン語:Sant-Pabu)は、フランス、ブルターニュ地域圏、フィニステール県のコミューン。サン=パビュとは、11世紀から13世紀にかけてのトレギエの名でもあった。
由来
[編集]パビュとは、古いブルトン語のpapu、すなわちかつて修道院の長を指す名称であったpapaからきている。PabuとはPapaの属格であり、故にローマ教皇を意味するpapeと混乱をきたす。このPabuとは、ブルターニュ七聖人の1人で、トレギエ司教であった聖テュグデュアル(fr)を指して、誤って伝えられてきた名称である。
旧トレギエ司教区の創設者、聖テュグデュアルは、4世紀にグレートブリテン島コーンウォールのデヴォンで生まれた。王族の血を引くテュグデュアルは、非常に若い頃から信仰に献身した。彼の模範となるような聖なる生き方が、彼の兄弟(聖職者たち)によって修道院長に選ばれる要因となった。
言い伝えによると、彼の夢の中に出てきた天使のお告げによって、自身の最も熱心な弟子たち72人を伴ってブルターニュへ渡った。弟子の中には、テュグデュアルの母である聖ポンペイア、妹の聖セナ、敬虔な未亡人のメランがいた。小集団は、ブラン・サブロン湾内にあるレオンの浜に到着した。聖テュグデュアルは、到着した湾から半時間のところに最初の庵を築いた。この庵はLann Pabuと呼ばれ、現在のトレパビュである。また、別の伝説によると、テュグデュアルの弟子聖モデズは礼拝堂を建て、聖なる創立者の人望篤い名、パビュの名を与えた。
地理
[編集]サン=パビュはブレストの北約27kmにある。イロワーズ海に沿ったこの地域は、アベール・ブノワ川左岸にあたる。
アベール・ブノワ川と対峙するギャロ島はランデダに属する。ギャロ島へは干潮時に徒歩で往来可能である。garoとはブルトン語でシカを意味するgawrからきており、キリスト教伝来前から存在する名である。島や近くの場所に、ケルト神話の神ケルヌンノスを祀る場所があったからである。島には19世紀後半まで、そして第二次世界大戦後まで断続的に人が住んでいた。島では20世紀半ばまで畑が耕され、ウマが飼育されていた。島ではおよそ2000年前の墓が発見されている。
歴史
[編集]16世紀、サン=パビュはブレストおよびサン=ルナンのセネシャルが治める代官区に属した[1]。
人口統計
[編集]1962年 | 1968年 | 1975年 | 1982年 | 1990年 | 1999年 | 2006年 | 2010年 |
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1341 | 1283 | 1278 | 1380 | 1392 | 1479 | 1731 | 1999 |
参照元:1999年までEHESS[2]、2000年以降INSEE[3][4]
ブルトン語
[編集]2006年1月14日、Ya d'ar brezhoneg憲章の批准がコミューン議会で可決された。
ゆかりの人物
[編集]- ガブリエル・エリエス(1910年-1918年)[5] - ポルサル(現在のプルダルメゾー)生まれで、1940年から1945年まで戦争捕虜となっていた。戦後、サン=パビュの教区司祭となり、サン=パビュにあるカトリックの私立学校、サン・マルタン学校の監督官となった[6]。Mab an Digのペンネームを持つブルトン語文学者でもあった[7]。彼はゴルセッド・ド・ブルターニュ(fr:Gorsedd de Bretagne、ブルターニュのゴルセッズ。吟遊詩人たちのコミュニティ)のメンバーでもあった。
脚注
[編集]- ^ Jean Kerhervé, Anne-Françoise Pérès, Bernard Tanguy, Les biens de la Couronne dans la sénéchaussée de Brest et Saint-Renan, d'après le rentier de 1544, fr:Institut culturel de Bretagne, 1984.
- ^ http://cassini.ehess.fr/cassini/fr/html/fiche.php?select_resultat=33889
- ^ http://www.statistiques-locales.insee.fr
- ^ http://www.insee.fr
- ^ http://www.france-stades.com/SITE/DISTRICTS/FINISTERE_NORD/St_PABU/stpabu.htm
- ^ http://www.geneanet.org/archives/ouvrages/index.php?action=detail&livre_id=18986&page=318&book_type=livre&search_type=livre&name=elies&country=FRA®ion=BRE&subregion=F29&tk=938206d160baac3e
- ^ Il a aussi écrit en français, par exemple, le recueil de poésie, Ma Bretagne (1954)