サンタントワーヌ (ジェール県)
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Saint-Antoine | |
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行政 | |
国 | フランス |
地域圏 (Région) | オクシタニー地域圏 |
県 (département) | ジェール県 |
郡 (arrondissement) | コンドン郡 |
小郡 (canton) | ミラドゥー小郡 |
INSEEコード | 32358 |
郵便番号 | 32340 |
市長(任期) |
ジャン・デュピュイ[1] (2014年 - 2020年) |
自治体間連合 (fr) | なし |
人口動態 | |
人口 |
205人 (2011) |
人口密度 | 21人/km2 |
地理 | |
座標 | 北緯44度02分14秒 東経0度50分28秒 / 北緯44.0372222222度 東経0.841111111111度座標: 北緯44度02分14秒 東経0度50分28秒 / 北緯44.0372222222度 東経0.841111111111度 |
標高 |
平均:m 最低:64 m 最高:198m |
面積 | 9.8km2 |
公式サイト | Saint-Antoine de Pont-d'Arratz |
サンタントワーヌ(Saint-Antoine)は、フランス、オクシタニー地域圏ジェール県のコミューン。サンタントワーヌ・シュル・アラ(Saint-Antoine sur l'Arrats、ガスコーニュ語:Sent Antòni deu Pont d'Arrats)とも呼ばれる。通常は正式名称のサンタントワーヌよりも、コミューンのホームページで確認できるように、サンタントワーヌ=ド=ポン=ダラッツ(Saint-Antoine-de-Pont-d'Arratz)の名称で呼ばれる[2]。
地理
[編集]サンタントワーヌは、ガロンヌ川左岸の支流アラ川に接し、ガスコーニュ北部のブリュロワ地方に属している。ロゼルトとフルーランス間を走る国道653号線が通じる。コミューンはタルヌ=エ=ガロンヌ県と接している。
歴史
[編集]サンタントワーヌの名は、巡礼中に死亡したガイヤール・ダスコの遺贈による結果、1204年にこの地にやってきた、巡礼者に医療で奉仕するサンタントワーヌ会(fr)の司祭たちに由来する。彼らは1777年までこの地に定住していた。彼らは病院を運営し、巡礼者が渡るアラ川の橋(背後にダムがあった)と製粉所を監視していた。サンタントワーヌは、サンティアゴ・デ・コンポステーラの巡礼路であるポディエンシス道途上にある。
史跡
[編集]- サンタントワーヌ教会 - サンタントワーヌ会を示すギリシャ文字のΤ(タウ)が基礎石に刻まれる。聖人の腕のような遺物をおさめた聖遺物箱がある。
- サンタントワーヌ会のコマンドリー - 1972年に歴史文化財指定を受けた[3]。アジャンとレクトゥール間に設置された。1776年にローマ教皇ピウス6世はサンタントワーヌ会を立ち退かせ、翌1777年に機能をマルタ騎士団に移管した。会の資産はフランス革命中に没収され、病院は消滅した[4]。
人口統計
[編集]1962年 | 1968年 | 1975年 | 1982年 | 1990年 | 1999年 | 2006年 | 2011年 |
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201 | 190 | 155 | 181 | 166 | 174 | 188 | 205 |
参照元:1999年までEHESS[5]、2004年以降INSEE[6][7]
脚注
[編集]- ^ Site de la préfecture - Fiche de Saint-Antoine
- ^ CODORNIU (Ch.). Notice sur Saint-Antoine de Pont-d'Arratz dans Revue de Gascogne, t.XXXVI (1895), p.82. http://insitu.revues.org/10677
- ^ http://www.culture.gouv.fr/public/mistral/merimee_fr?ACTION=CHERCHER&FIELD_1=REF&VALUE_1=PA00094907
- ^ Patrimoines Midi-Pyrénées : commanderie d'Antonins, de Chevaliers de Malte
- ^ http://cassini.ehess.fr/cassini/fr/html/fiche.php?select_resultat=30443
- ^ http://www.statistiques-locales.insee.fr
- ^ http://www.insee.fr