サロン=ド=プロヴァンス
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Salon-de-Provence | |
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行政 | |
国 | フランス |
地域圏 (Région) | プロヴァンス=アルプ=コート・ダジュール地域圏 |
県 (département) | ブーシュ=デュ=ローヌ県 |
郡 (arrondissement) | エクス=アン=プロヴァンス郡 |
小郡 (canton) |
サロン=ド=プロヴァンス小郡 (小郡庁所在地) |
INSEEコード | 13103 |
郵便番号 | 13300 |
市長(任期) |
ミシェル・トノン (2008年-2014年) |
人口動態 | |
人口 |
40147人 (2006年) |
人口密度 | 571人/km2 |
地理 | |
座標 | 北緯43度22分57秒 東経5度03分18秒 / 北緯43.3826度 東経5.0550度座標: 北緯43度22分57秒 東経5度03分18秒 / 北緯43.3826度 東経5.0550度 |
標高 |
最低:1115 m 最高:2680 m |
面積 | 70.30km2 |
サロン=ド=プロヴァンス(Salon-de-Provence)はアヴィニョンから約50km、エクス=アン=プロヴァンスから約30kmのところにあるブーシュ=デュ=ローヌ県の都市。クロー平野に位置する。
この町には空軍士官学校を含むサロン=ド=プロヴァンス空軍基地(w:Salon-de-Provence_Air_Base)がある。
歴史
[編集]街は、アドリア海、地中海、大西洋と続く塩の道の中間点という好位置にあったガロ・ローマ文化のオッピドゥムであった。この地域は、紀元前6世紀よりポカイアの影響下にあった。ローマの道であるウィラ・アウレリア(Via Aurelia)が街の近くまで延びていた。しかし現在の街に近い名前ウィラ・サロネ(Villa Salone)で最初に記述されるのは、9世紀であった。当時はアルルの大司教の支配下にあった。
今日では、街はノストラダムスがその生涯を閉じ、埋葬された場所として有名である。彼の住まいは博物館として維持されており、6月か7月のいずれか4日間、街はノストラダムスの生きた時代の歴史を祝い、観光客を惹きつけている。
旧市街は、17世紀に造られた時計門とブール・ヌフ門という名の2つの門をくぐった環状壁の内側にある。16世紀に、アダン・ド・クラポンヌが建設した灌漑用のクラポンヌ運河は、安価な積荷による商取引もこの街にもたらし、街は繁栄した。
産業
[編集]伝統的にオリーブ作りが行われており、現在でもオリーブオイル作りやマルセイユ石鹸の製造が行われている。
観光
[編集]- アンペリ城(fr:Château de l'Empéri) - 現在は武器の博物館となっている。
- サン=ローラン教会
その他
[編集]- クロー平野の灌漑事業の先駆ともいえるクラポンヌ運河の建設者アダン・ド・クラポンヌの生まれた町であり、市庁舎には彼の胸像が飾られている。また、2004年には運河着工450周年が祝われた。
- フランスの医師・占星術師ノストラダムスが晩年を過ごした町であり、彼の遺体が安置されている。また、ミシェル・ショマラによって研究者向けに「ノストラダムス・センター(Centre Nostradamus)」が開設されている。