サラボージー
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サラボージー Sarabhoji | |
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タンジャーヴール・マラーター王 | |
サラボージー | |
在位 | 1712年 - 1728年 |
別号 | ラージャ |
出生 |
1675年あるいは1679年 |
死去 |
1728年 タンジャーヴール、タンジャーヴール城 |
子女 | シャーフージー2世 |
家名 | ボーンスレー家 |
父親 | ヴィヤンコージー |
宗教 | ヒンドゥー教 |
サラボージー(マラーティー語:सरफोजी १, タミル語:முதலாம் சரபோஜி, Sarabhoji, 1675年あるいは1679年 - 1728年)は、南インドのタミル地方、タンジャーヴール・マラーター王国の君主(在位:1712年 - 1728年)。セルフォージー(Serfoji)とも呼ばれる。
生涯
[編集]1712年、兄のシャーフージーが死亡あるいは退位したことにより、その王位を継承した[1]。
1720年、ラームナードゥのパーライヤッカーラルで後継者争いからマラヴァ継承戦争が勃発すると、サラボージーはこれに介入し、ヴィジャヤ・ラグナータ・セートゥパティに味方した。
だが、同年にサラボージーの味方したヴィジャヤ・ラグナータ・セートゥパティは戦いに敗れて死亡した。
1728年、サラボージーはタンジャーヴール城で死亡した[1]。息子のシャーフージーは非嫡出子だったため、弟(あるいは兄)のトゥッコージーがその王位を継承した[1]。
人物
[編集]サラボージーの治世は文学が多く作成されたことで知られ、タミル語のサラボージー・チャリタはその治世に作られ、彼自身もまた文人であった。
また、サラボージーは信心深く慈悲深い君主としても知られ、バラモンに自らの名を冠した町サラボージーラージャプラムを寄進している