サミー・ヘルバシオ
基本情報 | |
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国籍 | ドミニカ共和国 |
出身地 | アト・マジョール州サバナ・デ・ラ・マール |
生年月日 | 1985年1月10日(39歳) |
身長 体重 |
6' 0" =約182.9 cm 175 lb =約79.4 kg |
選手情報 | |
投球・打席 | 右投右打 |
ポジション | 投手 |
プロ入り | 2002年 アマチュアFA |
初出場 | MLB / 2009年8月14日 |
最終出場 | MLB / 2010年4月3日 |
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) | |
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この表について
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サムエル・ヘルバシオ(Samuel Gervacio , 1985年1月10日 - )は、ドミニカ共和国アト・マジョール州出身のプロ野球選手(投手)。右投右打。現在は、フリーエージェント(FA)。
経歴
[編集]プロ入りとアストロズ時代
[編集]2002年12月にヒューストン・アストロズと契約を結びプロ入り[1]。
2003年と2004年はルーキー級ドミニカン・サマーリーグ・アストロズでプレー[1]。
2005年はルーキー級グリーンビル・アストロズとA級レキシントン・レジェンズで合計26試合に登板して、4勝2敗8セーブ、防御率2.30の成績を残した[2]。
2007年にAA級コーパスクリスティ・フックスに初昇格。A+級セイラム・アバランチと合計で52試合に登板して、4勝5敗18セーブ5ホールド、防御率2.31の成績を残した[2]
2008年にAAA級ラウンドロック・エクスプレスに初昇格。AA級コーパスクリスティと合計で50試合に登板して、3勝5敗5セーブ5ホールド、防御率3.93の成績を残した[2]。
2009年7月30日にアストロズとメジャー契約を結び、アクティブ・ロースター入りした[2]。8月14日にミルウォーキー・ブルワーズ戦でメジャー初登板を果たし、2回を無失点に抑える活躍を見せた。同年はメジャーで29試合に登板して、1勝1敗6ホールド、防御率2.14と好成績を残した[2]。
2010年は開幕から不安定な投球が続き、わずか6試合の登板で防御率12.27に終わって5月4日にマイナーに降格[2]。その後メジャーに再昇格することはなかった。オフの11月2日にFAとなった[2]。11月15日にマイナー契約で再契約した[2]。
2011年はメジャー昇格の機会はなく、オフの11月2日にFAとなった[2]。
メキシカンリーグ時代
[編集]2012年5月8日にメキシカンリーグのアグアスカリエンテス・レイルロードメンと契約。クローザーとして38試合に登板して、2勝4敗22セーブ、防御率3.72の成績を残した[1]。
2013年もアグアスカリエンテスと契約し、クローザーとして16セーブを挙げたものの防御率5点台に終わり、6月22日に自由契約となった[2]。
BC信濃時代
[編集]2013年7月18日に、ベースボール・チャレンジ・リーグの信濃グランセローズに入団することが発表された[3]。登録名は「サミー」。
リリーフとして14試合(14回2/3)に登板し、2勝0敗、防御率2.45、21奪三振と好成績を挙げたが、入団からおよそ2ヶ月後の9月13日に退団することが発表された[4]。この年、信濃はサミー退団後も外国人選手の退団が相次いだ。
BC信濃退団後
[編集]2014年は秋まではいずれの球団にも所属せず、オフのドミニカのウインターリーグでプレーした。
2015年から2016年までは、アメリカ独立リーグ・アトランティックリーグのブリッジポート・ブルーフィッシュに所属した。またオフにはベネズエラのウィンターリーグでプレーした。
2017年は、パシフィック・アソシエーションのヴァレーホ・アドミラルズに所属。またオフにはベネズエラのウィンターリーグでプレーした。
2018年から2019年までは、アトランティックリーグのニューブリテン・ビーズに所属。またオフにはコロンビアのウィンターリーグでプレーした[5]。
2020年2月13日にアトランティックリーグのロード・ウォーリアーズと契約したが[2]、リーグ開催中止のためプレーすることはなかった。
プレースタイル
[編集]スリークォーター気味のフォームから繰り出す直球は最速150km/h。カーブやスライダーなど変化球の制球も良いという評判だった[3]。
詳細情報
[編集]年度別投手成績
[編集]年 度 |
球 団 |
登 板 |
先 発 |
完 投 |
完 封 |
無 四 球 |
勝 利 |
敗 戦 |
セ 丨 ブ |
ホ 丨 ル ド |
勝 率 |
打 者 |
投 球 回 |
被 安 打 |
被 本 塁 打 |
与 四 球 |
敬 遠 |
与 死 球 |
奪 三 振 |
暴 投 |
ボ 丨 ク |
失 点 |
自 責 点 |
防 御 率 |
W H I P |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
2009 | HOU | 29 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 1 | 0 | 6 | .500 | 83 | 21.0 | 16 | 1 | 8 | 3 | 1 | 25 | 0 | 0 | 5 | 5 | 2.14 | 1.14 |
2010 | 6 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | 0 | .000 | 21 | 3.2 | 4 | 1 | 5 | 0 | 0 | 3 | 1 | 1 | 6 | 5 | 12.27 | 2.46 | |
MLB:2年 | 35 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 2 | 0 | 6 | .333 | 104 | 24.2 | 20 | 2 | 13 | 3 | 1 | 28 | 1 | 1 | 11 | 10 | 3.65 | 1.34 |
- 2018年度シーズン終了時
年度別守備成績
[編集]年 度 |
球 団 |
投手(P) | |||||
---|---|---|---|---|---|---|---|
試 合 |
刺 殺 |
補 殺 |
失 策 |
併 殺 |
守 備 率 | ||
2009 | HOU | 29 | 2 | 0 | 0 | 0 | 1.000 |
2010 | 6 | 0 | 1 | 1 | 0 | .500 | |
MLB | 35 | 2 | 1 | 1 | 0 | .750 |
- 2018年度シーズン終了時
記録
[編集]- MLB
- 初登板:2009年8月14日、対ミルウォーキー・ブルワーズ戦(ミラー・パーク)、5回裏に2番手で救援登板、2回無失点
- 初奪三振:同上、5回裏にマイク・キャメロンから見逃し三振
- 初勝利:2009年8月19日、対フロリダ・マーリンズ戦(ミニッツメイド・パーク)、5回表に3番手で救援登板、1/3回無失点
- 初ホールド:2009年8月22日、対アリゾナ・ダイヤモンドバックス戦(ミニッツメイド・パーク)、8回表に3番手で救援登板、1/3回無失点
独立リーグでの投手成績
[編集]- BCリーグ
年 度 |
球 団 |
登 板 |
勝 利 |
敗 戦 |
セ 丨 ブ |
完 投 |
勝 率 |
投 球 回 |
打 者 |
被 安 打 |
被 本 塁 打 |
奪 三 振 |
与 四 球 |
与 死 球 |
失 点 |
自 責 点 |
暴 投 |
ボ 丨 ク |
失 策 |
防 御 率 |
W H I P |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
2013 | 信濃 | 14 | 2 | 0 | 0 | 0 | 1.000 | 14.2 | 62 | 9 | 0 | 21 | 7 | 2 | 5 | 4 | 0 | 3 | 0 | 2.45 | 1.13 |
通算:1年 | 14 | 2 | 0 | 0 | 0 | 1.000 | 14.2 | 62 | 9 | 0 | 21 | 7 | 2 | 5 | 4 | 0 | 3 | 0 | 2.45 | 1.13 |
背番号
[編集]- 63 (2009年 - 2010年)
- 98 (2013年途中 - 2013年終了)
脚注
[編集]- ^ a b c “Sammy Gervacio Stats & Scouting Report”. Baseball America. 2022年5月4日閲覧。
- ^ a b c d e f g h i j k MLB公式プロフィール参照。2022年5月4日閲覧。
- ^ a b “元大リーグ投手獲得へ 元アストロズのヘルバシオ”. 信濃毎日新聞社 (2013年7月18日). 2022年5月4日閲覧。
- ^ “サミー投手が退団 任意引退”. 信濃毎日新聞 (2013年9月13日). 2022年5月4日閲覧。
- ^ “コロンビアで武者修行する日本人左腕 先発ローテ入りが目標、夢はNPB選手(page3)”. Full-Count (2018年12月27日). 2022年5月4日閲覧。