サミュエル・メスキータ
サミュエル・イェスルン・デ・メスキータ Samuel Jessurun de Mesquita | |
---|---|
サミュエル・イェスルン・デ・メスキータ | |
生誕 |
1868年6月6日 オランダ、アムステルダム |
死没 |
c. 1944年2月11日 (75歳没) ドイツ占領下ポーランド、アウシュヴィッツ=ビルケナウ強制収容所 |
サミュエル・イェスルン・デ・メスキータ (ヘブライ語: שְׁמוּאֵל יְשֻׁרוּן (יְשׁוּרוּן) דה-מסקיטה Šmu'él Ješurun de-Meskita, オランダ語: Samuel Jessurun de Mesquita、1868年6月6日 – c.1944年2月11日)は、オランダの美術家。版画家、画家として、19世紀末から20世紀前半に活動した。セファルディム系のユダヤ人であり、ナチス・ドイツによってアウシュヴィッツ=ビルケナウ強制収容所に送致され、ガス室で殺害された。
美術学校の教師としても活動し、教え子の一人にマウリッツ・エッシャーがいる[1]。
生い立ち
[編集]サミュエル・イェスルン・デ・メスキータは1868年6月6日、アムステルダムのポルトガル系ユダヤ人の家に生まれた[2]。彼の家は、オランダのユダヤ人の中では少数派であるセファルディム(ディアスポラで南方やロマンス語圏に移住したユダヤ人)の緊密なコミュニティに属していたが、同時代の人々の大多数と同様、彼は厳格なユダヤ教徒ではなかった。中等学校でヘブライ語とドイツ語を教えていた彼の父は、彼が5歳の時に亡くなった。彼は幼少の頃 "Sam" や "Sampie" と呼ばれていた[3]。
14歳の時、彼はアムステルダムの王立芸術アカデミーに、芸術的興味を追求するために入学を申し込んだが、拒否された。彼は深く失望したが、街の建築家の徒弟となり、2年間働いた後、建築家になるために専門学校に入学した。しかし彼はすぐに教育学に転向し、1889年教員免許を取得した[3]。
芸術家として
[編集]1893年ごろから作品を制作し始める[4]。その後長年にわたって、彼はもっぱら芸術に没頭し、さまざまな技法や手段を試みた。彼は主に木版画で知られているが、エッチング、リトグラフ、水彩画、デッサンも手がけていた。また、染物や雑誌の表紙、挿絵のデザイナーとしても活動した[4]。アムステルダムのアルティス動物園の動物、異国的な植物や花などを作品のモチーフとした[2]。肖像画、とりわけ自画像も、彼の作品の中で最も美しいとされるものである[2][3]。
一方、1902年からは美術学校の教師となり、多くの学生を指導した。またハールレムの建築装飾美術学校でも指導し[2]、そこでマウリッツ・エッシャーの才能を見出した[5]。エッシャーは彼の作風から多大な影響を受けた[4]。
オランダにナチス・ドイツが侵攻した1940年5月、彼はすでに健康を害しており、隠遁生活を余儀なくされ、作品は多くがスケッチに限られていた[2][3]。
死
[編集]1944年の冬、1月31日あるいは2月1日、ドイツ軍の兵士がワーテルグラーフスメール(現在はアムステルダムの一部)にあったメスキータ家に押入り、彼と、妻エリーザベト、一人息子ヤープを逮捕した。彼とエリーザベトは2月11日にアウシュヴィッツ強制収容所に送致され、その後数日のうちにガス室で殺害された。ヤープは、3月20日、テレージエンシュタットの強制収容所で死亡した[3]。
死後の受容
[編集]教え子のエッシャーやヤープの友人たちはメスキータ家に残っていた作品のいくつかを救い出すことができた[3]。エッシャーと友人たちは戦後彼の回顧展を開き、彼の業績を伝えようと努めた。2019年6月から8月にかけて、東京ステーションギャラリーにおいて彼の回顧展が日本で初めて開かれた[4]。
作品
[編集]雑誌「Wendingen」の表紙として描いた作品。
-
1925
-
1927
-
1929
-
1931
彼の作品の中でよく知られているのは、アムステルダム動物園の動物を中心とした木版画だが、デッサンや水彩画、エッチングやリトグラフ、絵画、応用デザインなども制作しており、1891年からアムステルダム芸術家協会の一員として、絵画、水彩画、ドローイング、スケッチなどを定期的に展示。さらに1893年にはエッチング、1896年には木版画の制作をはじめた。
-
牛 (1916)
-
インコ(1924)
-
鳥かごの中のサギ(1915)
-
自画像 (1900)
脚注
[編集]- ^ Locher, J. L. (1974). The World of M. C. Escher. Abrams. p. 5. ISBN 0-451-79961-5
- ^ a b c d e Samuel Jessurun de Mesquita, Nederlands: Gemeentemuseum
- ^ a b c d e f Es, Jonieke van (2005) (Dutch), Samuel Jessurun de Mesquita (1868–1944): Tekenaar, graficus, sierkunstenaar, Waanders Uitgevers, Zwolle
- ^ a b c d “エッシャーが命懸けで守った画家、メスキータとは何者か? 日本初の回顧展が東京ステーションギャラリーで開催へ”. 美術手帖. 美術出版社 (2019年3月19日). 2019年5月6日時点のオリジナルよりアーカイブ。2019年5月23日閲覧。
- ^ “エッシャーの生涯”. エッシャー美術館. 2019年5月23日閲覧。
外部リンク
[編集]- ウィキメディア・コモンズには、サミュエル・メスキータに関するカテゴリがあります。