サッカー蒙古聯合自治政府代表
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国または地域 | 蒙古聯合自治政府 | |||
協会 | 蒙古聯合自治政府蹴球協会 | |||
愛称 | - | |||
監督 | - | |||
最多出場選手 | ?(?試合) | |||
最多得点選手 | ?(?得点) | |||
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初の国際試合 |
1942年8月8日対満洲国 不詳 | |||
最大差敗戦試合 |
1942年8月10日対日本 0-12 | |||
FIFAワールドカップ | ||||
出場回数 | 0回 | |||
サッカー蒙古聯合自治政府代表(サッカーもうこれんごうじちせいふだいひょう)は、1939年から1945年にかけて存在した、蒙古聯合自治政府のサッカーのナショナルチームである。
歴史
[編集]1939年9月1日に内蒙古に蒙古聯合自治政府が樹立されると、程なく蒙古聯合自治政府蹴球協会も設立された。
しかし、1940年の『紀元二千六百年奉祝東亜競技大会』へは間に合わず、1942年の『満州国建国十周年慶祝東亜競技大会』にのみ参加した。この大会で満洲国、大日本帝国、中華民国(汪兆銘政権)の代表チームとも対戦したが、日本に0-12で大敗するなど散々な内容だった。
ただし、この大会の詳細は日本代表の公式資料以外に残っておらず、日本代表以外の戦績は不明である。また、戦前の日本代表としては最大差勝利試合でもあった(蒙古聯合自治政府側は、記録がないため最大差敗戦試合かどうか不明)。
蒙古聯合自治政府は国際的に認められていなかったので、国際サッカー連盟(FIFA)には最後まで加盟することはできなかった。1945年8月19日の蒙古聯合自治政府崩壊により、チームも自然消滅した。
公式戦
[編集]蒙疆チーム | スコア | 対戦相手 | 場地 | 日期 | 賽事 |
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蒙疆 | 不詳 | 満洲国 | 満洲国 新京 | 1942年8月8日 | 満洲国建国十周年慶祝東亜競技大会 |
蒙疆 | 不詳 | 中華民国 | 満洲国 新京 | 1942年8月9日 | 満洲国建国十周年慶祝東亜競技大会 |
蒙疆 | 0 – 12 | 日本 | 満洲国 新京 | 1942年8月10日 | 満洲国建国十周年慶祝東亜競技大会 |
ワールドカップ
[編集]FIFAワールドカップの中断期(1938年~1950年)にチームが存在していたため、アジア予選すら開催されなかった。また、国際サッカー連盟(FIFA)にも加盟する事は出来なかった。
脚注
[編集]関連項目
[編集]- サッカー満洲国代表 - 満洲国に1932年から1945年まで存在した。
- サッカー内モンゴル代表 - 中国の内モンゴル自治区で1960年代〜1980年代に存在した。
- サッカーモンゴル国代表 - モンゴル国サッカー連盟によって構成されている。