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サイード・エザトラヒ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
サイード・エザトラヒ
イラン代表でのエザトラヒ (2018年)
名前
本名 サイード・ナデル・エザトラヒ・アーファーグ
Saeid Nader Ezatolahi Afagh[1]
ラテン文字 Saeid Ezatolahi
ペルシア文字 سعید عزت‌اللهی آفاق
基本情報
国籍 イランの旗 イラン
生年月日 (1996-10-01) 1996年10月1日(28歳)
出身地 バンダレ・アンザリー
身長 189cm[1]
選手情報
在籍チーム アラブ首長国連邦の旗 アル・アハリ・ドバイ
ポジション MF
背番号 66
利き足 右足
ユース
2008-2010 イランの旗 シャールダリ・バンダル・アンザリ
2010-2014 イランの旗 マラヴァーン
2014-2015 スペインの旗 アトレティコ・マドリード
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
2012-2014 イランの旗 マラヴァーン 19 (0)
2014-2015 スペインの旗 アトレティコ・マドリード C 5 (0)
2015-2020 ロシアの旗 ロストフ 18 (2)
2017 ロシアの旗 アンジ・マハチカラ (loan) 11 (0)
2017-2018 ロシアの旗 アムカル・ペルミ (loan) 16 (1)
2018-2019 イングランドの旗 レディング (loan) 4 (0)
2019-2020 ベルギーの旗 オイペン (loan) 4 (0)
2020-2024 デンマークの旗 ヴェイレ 73 (8)
2022 カタールの旗 アル・ガラファ (loan) 4 (0)
2024- アラブ首長国連邦の旗 アル・アハリ 13 (2)
代表歴2
2011-2013  U-17 イラン 33 (10)
2014  U-20 イラン 4 (1)
2015- イランの旗 イラン 71 (1)
1. 国内リーグ戦に限る。2024年10月2日現在。
2. 2024年10月2日現在。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

サイード・エザトラヒペルシア語: سعید عزت‌اللهی‎, ラテン語: Saeid Ezatolahi, 1996年10月1日-)は、イランバンダレ・アンザリー出身の同国代表サッカー選手UAEプロリーグアル・アハリ・ドバイ所属。ポジションはMF

メフディ・タレミサルダル・アズムンアリレザ・ジャハンバフシュマジード・ホセイニーらとともにイランの男子サッカーの黄金世代の1人とされ[2]、「ペルシアポグバ」とも呼ばれる[3]

クラブ経歴

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母国イランのシャールダリ・バンダル・アンザリのユースチームでキャリアを始めると、その後マラヴァーンに移籍。ここで頭角を現すと2012年10月にペルシアン・ガルフ・プロリーグラーフ・アーハン戦でイランのトップリーグ史上最年少(16歳25日)でプロ初出場を果たし、このシーズンのイラン年間最優秀若手選手に選ばれた[4]

2014年8月に母国を離れスペインの強豪アトレティコ・マドリードと契約し、2015年3月にはUEFAユースリーグでデビューを果たした[4]

ロストフでのエザトラヒ(2016年)

同年夏、ロシアのFCロストフに4年契約加入。2016年5月にディナモ・モスクワ戦(3-1)で移籍後初出場を果たした。7月26日、ロストフにとって予選を含めてクラブ史上初の参加となったUEFAチャンピオンズリーグ予選3回戦アンデルレヒト戦(2-2)で得点を挙げ、ロストフにおける最初のCL得点者となった[4]。しかし、ロストフでは十分な出場機会は得られず2017年1月から半年間ロシア国内のアンジ・マハチカラ、同年夏から1年間アムカル・ペルミ、2018年8月末にEFLチャンピオンシップレディング[4]、2019年夏にベルギーのオイペンに貸し出されるなど期限付き移籍を繰り返した。

2020年8月、デンマーク1部リーグに昇格したばかりのヴェイレBKに3年契約で移籍[5]

2022年1月、カタールアル・ガラファに半年間の期限付き移籍した[6]

2024年2月にUAEプロリーグアル・アハリに移籍するも、5月末にアル・ワスル戦で膝内側側副靱帯を負傷し、クラブでの試合と翌月に予定されていた2026 FIFAワールドカップ・アジア2次予選香港戦とウズベキスタン戦も欠場することになった[7]

代表経歴

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マラヴァーンでプロキャリアを始めた翌年にはU-17イラン代表の一員として2013 FIFA U-17ワールドカップに出場した[4]

A代表ではカルロス・ケイロス監督によって招集され、2015年11月のトルクメニスタン戦(3-1)で得点を挙げたことでイラン代表史上最年少(19歳42日)の得点者[注釈 1]となった[4]

ロシアW杯アンドレス・イニエスタとマッチアップするエザトラヒ(左)

2017年8月31日、2018 FIFAワールドカップ・アジア3次予選韓国戦でエザトラヒは空中戦で衝突し芝生に倒れ込んでいた韓国のDFキム・ミンジェに対するファウルでレッドカードを受けた。これによりエザトラヒはFIFAから2試合の出場停止処分を受け、約1週間後のシリア戦とロシアW杯本大会の初戦であるグループステージモロッコ戦への出場が禁じられた[8]。出場停止処分後、スペイン戦(0-1)とポルトガル戦(1-1)に先発出場した[4]

ウェールズ戦後に勝利を祝うエザトラヒ

2022 FIFAワールドカップではグループステージ初戦のイングランド戦で後半開始から出場するも2-6で大敗。続くウェールズ戦は2-0で勝利したものの、引き分け以上の結果でグループステージ突破ができた最終戦のアメリカ戦ではフル出場したが0-1で敗れて敗退。試合後、エザトラヒは敗退した悔しさからイランのどの選手よりも最後までピッチに倒れて涙した[9]

一方、イラン国内ではマフサ・アミニ抗議運動が行われており、イラン国民は政権寄りとされる代表チームを支持しなかったが、イラン代表はデモに対する支持としてイングランド戦のキックオフ直前の国歌斉唱で口をつむいで歌うことを拒否した。そしてイングランドに大敗すると代表チームの敗北は政権の敗北の象徴である(=抗議の意思を示す絶好の機会)として国民の抗議運動はさらに加速した。これを受けてイラン政府はイスラム革命防衛隊経由でイラン代表チームに対して抗議運動に加担しないように脅迫し[注釈 2]、代表メンバーは次のウェールズ戦では通常通り国歌を歌った。そしてイラン代表がアメリカ戦で敗れてグループステージ敗退が決まると反政府デモはより一層過激化し、その最中にMehran Samak(27歳)は治安部隊によってテヘラン北西のバンダレ・アンザリーで射殺された。彼とエザトラヒは幼少期に同じサッカースクールに通っていた仲で、エザトラヒはInstagramにユースチームで一緒に撮った写真を投稿して彼の死を悼んだ[10][11]

昨夜の苦い敗戦の後の君の訃報は私の心に火をつけた。いつかの日か"仮面"が剥がれ落ち、真実がむき出しになるだろう。これは若者にふさわしいことではない。これは私たちの国にふさわしいものではない。

2023年6月に開催された中央アジアの国を対象[注釈 3]にしたCAFAネイションズカップ英語版では優勝を果たし、この大会の初代王者に輝いた[12]

AFCアジアカップ2023では、途中出場した香港戦以外の全ての試合にフル出場した。とりわけ、PK戦まで続いたラウンド16のシリア戦から中2日しか休みがないにもかかわらず準々決勝の日本戦にもフル出場してこの試合は2-1の逆転勝利を収めた。しかし、準決勝で開催国カタールとの試合前には過密日程とカタール戦の審判団がクウェート人であることに疑問[注釈 4]を呈し、実際に試合は2-3で敗れてベスト4で大会を去った[13]

個人成績

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代表での成績

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2024年10月2日現在[14]
国際Aマッチ 69試合出場1得点(2015年- )


イラン代表国際Aマッチ
出場得点
2015 4 1
2016 10 0
2017 9 0
2018 5 0
2019 2 0
2020 1 0
2021 10 0
2022 10 0
2023 8 0
2024 10[注釈 5] 0
通算 69 1

代表での得点

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# 開催年月日 開催地 対戦国 スコア 結果 試合概要
1. 2015年11月15日 イランの旗 テヘラン トルクメニスタンの旗 トルクメニスタン 2-1 3-1 2018 FIFAワールドカップ・アジア予選

タイトル

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クラブ
ヴェイレ
代表
個人

脚注

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注釈

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  1. ^ この記録は2019年にアラーヤル・サヤードマネシュによって更新された。
  2. ^ 大会前には選手らに車などをプレゼントするとしていたが、イングランド戦での国歌斉唱拒否後には一転して選手の家族への拷問も選択肢の一つであると脅した。
  3. ^ イランウズベキスタンキルギスタジキスタントルクメニスタンアフガニスタンに加えてオマーンが招待国枠として参加した。
  4. ^ イランは主にペルシャ人とシーア派のイスラム教徒で、主にスンナ派のイスラム教徒であるアラブ世界との間に長年の緊張と紛争があった。
  5. ^ インドネシアブルキナファソ戦はFIFA非公式の試合であったため国際Aマッチにカウントされていない。

出典

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  1. ^ a b Profile”. UAE Football Association. 2024年10月2日閲覧。
  2. ^ Gabriel Tan (2022年11月16日). “Can Iran's golden generation upset England, USMNT to claim historic FIFA World Cup knockout berth?”. ESPN. 2024年10月2日閲覧。
  3. ^ World Cup: Iran's Ezatolahi to miss campaign opener due to FIFA ban”. Business Standard (2018年6月13日). 2024年10月2日閲覧。
  4. ^ a b c d e f g ROYALS SIGN SAEID EZATOLAHI ON SEASON-LONG LOAN” (英語). Reading F.C. (2018年8月31日). 2024年10月2日閲覧。
  5. ^ Team Mellli’s Ezatolahi joins Denmark’s Vejle BK” (英語). AFC (2020年8月21日). 2024年10月2日閲覧。
  6. ^ Al Gharafa complete signing of Iran international Ezatolahi” (英語). Tehran Times (2022年1月21日). 2024年10月2日閲覧。
  7. ^ WCQ 2026: Ezatolahi to miss Hong Kong, Uzbekistan matches [Report]” (英語). Persian Football.com (2024年5月30日). 2024年10月2日閲覧。
  8. ^ FIFA ban Saeid Ezatolahi for Iran's World Cup opener”. ESPN (2017年10月2日). 2024年10月2日閲覧。
  9. ^ Gabriele Marcotti (2022年11月30日). “Iran's Saied Ezatolahi embodied the despair of World Cup defeat in emotional scenes after elimination by United States”. ESPN. 2024年10月2日閲覧。
  10. ^ Iranian man, 27, shot dead for celebrating team’s World Cup exit” (英語). The Guardian (2022年11月30日). 2024年10月2日閲覧。
  11. ^ Sam Kiley (2022年11月29日). “Iran threatened families of national soccer team, according to security source” (英語). CNN. 2024年10月2日閲覧。
  12. ^ Winner of the historic CAFA Nations Cup 2023 is I.R. Iran national team”. CAFA. 5 September 2023閲覧。
  13. ^ Iran ‘surprised’ by choice of Arab referee in Asia soccer semifinal against Qatar” (英語). THE TIMES OF ISRAEL (2024年2月6日). 2024年10月2日閲覧。
  14. ^ サイード・エザトラヒ - National-Football-Teams.com
  15. ^ AFC Asian Cup Qatar 2023 Technical Report”. AFC. p. 69 (2024年8月12日). 2024年8月13日閲覧。

外部リンク

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