シーモン・アスペリン
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シーモン・アスペリン | ||||||||||
基本情報 | ||||||||||
フルネーム | Simon Olof Karl Aspelin | |||||||||
国籍 | スウェーデン | |||||||||
出身地 | サルトショーバデン | |||||||||
居住地 | イングランド・ロンドン | |||||||||
生年月日 | 1974年5月11日(50歳) | |||||||||
身長 | 185cm | |||||||||
体重 | 80kg | |||||||||
利き手 | 右 | |||||||||
ツアー経歴 | ||||||||||
デビュー年 | 1998年 | |||||||||
引退年 | 2011年 | |||||||||
ツアー通算 | 12勝 | |||||||||
シングルス | 0勝 | |||||||||
ダブルス | 12勝 | |||||||||
生涯通算成績 | 348勝305敗 | |||||||||
シングルス | 0勝2敗 | |||||||||
ダブルス | 348勝303敗 | |||||||||
生涯獲得賞金 | $2,120,860 | |||||||||
4大大会最高成績・ダブルス | ||||||||||
全豪 | ベスト8(2006) | |||||||||
全仏 | 3回戦(2005・07-09・11) | |||||||||
全英 | ベスト8(2004・06・09) | |||||||||
全米 | 優勝(2007) | |||||||||
優勝回数 | 1(米1) | |||||||||
キャリア自己最高ランキング | ||||||||||
シングルス | 436位(1998年8月17日) | |||||||||
ダブルス | 7位(2008年3月7日) | |||||||||
獲得メダル | ||||||||||
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シーモン・ウーロフ・カール・アスペリン(Simon Olof Karl Aspelin, 1974年5月11日 - )は、スウェーデン・サルトショーバデン出身の男子プロテニス選手。ダブルスのスペシャリストとして活動し、2007年全米オープン男子ダブルスでユリアン・ノールとペアを組んで優勝。2008年北京五輪男子ダブルスでトーマス・ヨハンソンと組んで銀メダル獲得。彼は普段からダブルスのみに活動を絞り、4大大会の男子シングルスには1度も出場がない。ATPツアーで2007年全米オープンを含むダブルス12勝を挙げた。ダブルスの自己最高ランキングは7位。身長185cm、体重80kg、右利き。日本語では「サイモン・アスペリン」の表記も多く見られる。
来歴
[編集]アスペリンはジュニア時代から現在に至るまで、ずっと父親のコーチを受けてきた。1993年から1997年までアメリカ合衆国カリフォルニア州マリブ市のペパーダイン大学に在学し、全米大学チャンピオンを経てから、1998年に24歳でプロ入りした。最初の2年間は男子ツアー下部のフューチャーズやチャレンジャーでシングルスもこなしたが、2000年以後はダブルスに専念するようになる。彼の最初期のパートナーは、同じスウェーデンのヨハン・ランスベリであった。2000年2月、ランスベリと組んでオープン13大会でツアー初優勝を果たす。アスペリンとランスベリは年末の男子ツアー最終戦ATPツアー世界選手権にも初出場し、予選総当たり戦を突破して準決勝に進んだ。2001年に男子テニス国別対抗戦デビスカップスウェーデン代表選手に初起用された。
それからしばらく好成績がなかったが、2003年に男子ツアーで2つのタイトルを獲得する。2004年ウィンブルドン選手権男子ダブルスのベスト8進出をきっかけに、アスペリンは大半のトーナメントでトッド・ペリーとペアを組むようになり、2005年にペリーとのペアで年間2勝を挙げた。2005年10月のジャパン・オープン・テニス選手権決勝で鈴木貴男/岩渕聡組と対戦した出来事をきっかけに、アスペリンは日本でも知名度を獲得する。この大会のダブルスは、1セットを4ゲーム先取する変則的な方式で行われ、アスペリンとペリーは4-5(3), 4-5(13)のスコアで日本ペアに敗れた。アスペリンとペリーは、2006年10月のパリ・マスターズを最後にペアを解消した。
2007年全米オープンで、アスペリンはユリアン・ノールとペアを組み、33歳にして4大大会男子ダブルス初優勝を飾った。2人は決勝でのルーカス・ドロウヒー/パベル・ビズネル組を7-5, 6-4のストレートで倒した。全米オープン優勝直後、デビスカップ2007ワールドグループ準決勝対アメリカ戦で、アスペリンは初めてシングルス戦に出場した。すでにスウェーデン代表の敗戦が決まった後の消化試合だったが、彼は8年ぶりのシングルスでジェームズ・ブレークに1-6, 3-6で敗れた。2008年北京五輪男子ダブルスで、アスペリンはトーマス・ヨハンソンと組んで銀メダルを獲得する。2人は決勝でスイスのロジャー・フェデラー/スタニスラス・ワウリンカ組に3-6, 4-6, 7-6, 3-6のスコアで敗れた。
アスペリンは2011年7月、地元のスウェーデン・オープンダブルス準優勝を最後に37歳で現役を引退した。
ATPツアー決勝進出結果
[編集]ダブルス: 33回 (12勝21敗)
[編集]結果 | No. | 決勝日 | 大会 | サーフェス | パートナー | 対戦相手 | スコア |
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優勝 | 1. | 2000年2月7日 | マルセイユ | ハード (室内) |
ヨハン・ランスベリ | フアン・イグナシオ・カラスコ ハイロ・ベラスコ・ジュニア |
7–6(7–2), 6–4 |
準優勝 | 1. | 2001年7月15日 | ボースタード | クレー | アンドリュー・クラッツマン | カールステン・ブラーシュ イェンス・クニプシルト |
6–7(3–7), 6–4, 6–7(5–7) |
準優勝 | 2. | 2001年7月29日 | キッツビュール | クレー | アンドリュー・クラッツマン | アレックス・コレチャ ルイス・ロボ |
3–6, 6–4, 3–6 |
準優勝 | 3. | 2002年2月24日 | ブエノスアイレス | クレー | アンドリュー・クラッツマン | ガストン・エトリス マルティン・ロドリゲス |
6–3, 3–6, [4–10] |
準優勝 | 4. | 2002年4月14日 | エストリル | クレー | アンドリュー・クラッツマン | カールステン・ブラーシュ アンドレイ・オルホフスキー |
3–6, 3–6 |
優勝 | 2. | 2003年5月19日 | ザンクト・ペルテン | クレー | マッシモ・ベルトリーニ | サルギス・サルグシアン ネナド・ジモニッチ |
6–4, 6–7(8–10), 6–3 |
優勝 | 3. | 2003年7月7日 | ボースタード | クレー | マッシモ・ベルトリーニ | ルーカス・アーノルド・カー マリアノ・フッド |
6–7(3–7), 6–0, 6–4 |
準優勝 | 5. | 2003年9月14日 | ブカレスト | クレー | ジェフ・クッツェー | カールステン・ブラーシュ サルギス・サルグシアン |
6–7(7–9), 2–6 |
準優勝 | 6. | 2004年7月11日 | ボースタード | クレー | トッド・ペリー | マヘシュ・ブパシ ヨナス・ビョルクマン |
6–4, 6–7(2–7), 6–7(6–8) |
準優勝 | 7. | 2004年7月17日 | シュトゥットガルト | クレー | トッド・ペリー | イジー・ノバク ラデク・ステパネク |
2–6, 4–6 |
準優勝 | 8. | 2005年1月9日 | アデレード | ハード | トッド・ペリー | グザビエ・マリス オリビエ・ロクス |
6–7(5–7), 4–6 |
準優勝 | 9. | 2005年1月17日 | オークランド | ハード | トッド・ペリー | イブ・アレグロ ミヒャエル・コールマン |
4–6, 6–7(4–7) |
優勝 | 4. | 2005年2月6日 | デルレイビーチ | ハード | トッド・ペリー | ジョーダン・カー ジム・トーマス |
6–3, 6–3 |
優勝 | 5. | 2005年2月14日 | メンフィス | ハード (室内) |
トッド・ペリー | ボブ・ブライアン マイク・ブライアン |
6–4, 6–4 |
準優勝 | 10. | 2005年6月20日 | ノッティンガム | 芝 | トッド・ペリー | ジョナサン・エルリック アンディ・ラム |
6–4, 3–6, 5–7 |
準優勝 | 11. | 2005年7月25日 | インディアナポリス | ハード | トッド・ペリー | ポール・ハンリー グレイドン・オリバー |
2–6, 1–3 途中棄権 |
準優勝 | 12. | 2005年10月10日 | 東京 | ハード | トッド・ペリー | 岩渕聡 鈴木貴男 |
4–5(3–7), 4–5(13–15) |
準優勝 | 13. | 2006年1月14日 | オークランド | ハード | トッド・ペリー | アンドレイ・パベル ロヒール・ワッセン |
2–6, 7–5, [4–10] |
優勝 | 6. | 2006年10月23日 | サンクトペテルブルク | カーペット (室内) | トッド・ペリー | ユリアン・ノール ユルゲン・メルツァー |
6–1, 7–6(7–3) |
準優勝 | 14. | 2007年1月14日 | オークランド | ハード | クリス・ハガート | ジェフ・クッツェー ロヒール・ワッセン |
7–6(11–9), 3–6, [2–10] |
優勝 | 7. | 2007年5月26日 | ペルチャッハ | クレー | ユリアン・ノール | レオシュ・フリードル ダビド・シュコッホ |
7–6(8–6), 5–7, [10–5] |
優勝 | 8. | 2007年6月17日 | ハーレ | 芝 | ユリアン・ノール | ファブリス・サントロ ネナド・ジモニッチ |
6–4, 7–6(7–5) |
優勝 | 9. | 2007年7月15日 | ボースタード | クレー | ユリアン・ノール | マルティン・ガルシア セバスティアン・プリエト |
6–2, 6–4 |
優勝 | 10. | 2007年9月8日 | 全米オープン | ハード | ユリアン・ノール | ルーカス・ドロウヒー パベル・ビズネル |
7–5, 6–4 |
準優勝 | 15. | 2007年11月17日 | 上海 | ハード (室内) |
ユリアン・ノール | マーク・ノールズ ダニエル・ネスター |
2–6, 3–6 |
準優勝 | 16. | 2008年8月17日 | 北京五輪 | ハード | トーマス・ヨハンソン | ロジャー・フェデラー スタニスラス・ワウリンカ |
3–6, 4–6, 7–6(7–4), 3–6 |
準優勝 | 17. | 2009年4月11日 | カサブランカ | クレー | ポール・ハンリー | ルカシュ・クボット オリバー・マラチ |
6–7(4–7), 6–3, [6–10] |
準優勝 | 18. | 2009年5月17日 | マドリード | クレー | ウェスリー・ムーディ | ダニエル・ネスター ネナド・ジモニッチ |
4–6, 4–6 |
優勝 | 11. | 2009年7月26日 | ハンブルク | クレー | ポール・ハンリー | マルセロ・メロ フィリップ・ポラーシェク |
6–3, 6–3 |
準優勝 | 19. | 2009年10月25日 | ストックホルム | ハード (室内) |
ポール・ハンリー | ブルーノ・ソアレス ケビン・ウリエット |
4–6, 6–7(4–7) |
準優勝 | 20. | 2010年2月14日 | ロッテルダム | ハード (室内) |
ポール・ハンリー | ダニエル・ネスター ネナド・ジモニッチ |
4–6, 6–4, [7–10] |
優勝 | 12. | 2010年2月27日 | ドバイ | ハード | ポール・ハンリー | ルーカス・ドロウヒー リーンダー・パエス |
6–2, 6–3 |
準優勝 | 21. | 2011年7月17日 | ボースタード | クレー | アンドレアス・シーエストロム | ロベルト・リンドステット ホリア・テカウ |
3–6, 3–6 |
外部リンク
[編集]- シーモン・アスペリン - ATPツアーのプロフィール
- シーモン・アスペリン - デビスカップのプロフィール
- シーモン・アスペリン - 国際テニス連盟