ゴールドウィン・ピクチャーズ
種類 | Corporation |
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略称 | ゴールドウィン |
本社所在地 |
アメリカ合衆国 ニュージャージー州フォートリー |
設立 | 1916年 |
業種 | サービス業 |
事業内容 | 映画の製作 |
代表者 | サミュエル・ゴールドウィン |
特記事項: 1916年 設立 1924年 メトロ・ピクチャーズに吸収合併 |
ゴールドウィン・ピクチャーズ・コーポレーション(Goldwyn Pictures Corporation)は、かつて存在したアメリカ合衆国の映画会社である。
略歴・概要
[編集]1916年(大正5年)、サミュエル・ゴールドフィッシュが、ブロードウェイのプロデューサー、エドガー・セルフィンとアーチボルド・セルフィン兄弟とパートナーシップを結び、両者の姓を合成して命名した。「ゴールドウィン」以外のもうひとつのとりあわせでは「セルフィッシュ・ピクチャーズ」(利己的映画会社)になるので、こちらは即座に却下された。これを機に、ゴールドフィッシュはその姓名を、現在知られるサミュエル・ゴールドウィンに法的に改名した。
当初、同社はニュージャージー州フォートリーで、ソラックス・スタジオから映画製作のための施設を賃借していた。同社が適度に成功したと言えるが、もっとも有名なのはトレードマークの「レオ・ザ・ライオン」である。
サミュエル・ゴールドウィンは、最終的には、米国内で支配的な演劇の興行会社であるシューバート・オーガニゼイションを率いるリー・シューバートを引き入れたセルフィン兄弟たちが強制的に排除した。シューバートは同社を支配し、映画興行界の大物マーカス・ロウとロウが経営するメトロ・ピクチャーズに同社を合併させ、メトロ・ゴールドウィン・ピクチャーズとし、新しい会社にトレードマーク「レオ・ザ・ライオン」を付与した。
メトロ・ゴールドウィン・ピクチャーズがルイス・B・メイヤー・ピクチャーズの合流を受けた結果、生まれた新しい映画スタジオが、メトロ=ゴールドウィン=メイヤー(MGM)である。のちの1981年(昭和56年)にユナイテッド・アーティスツと合併し、MGM/UAエンタテインメント・カンパニーとなった。
同社を放擲されたサミュエル・ゴールドウィンは、1923年(大正12年)にサミュエル・ゴールドウィン・プロダクションズを設立している。映画産業においてもっとも尊敬されるべきプロデューサーになることはできたが、合併前に放擲されたメトロ=ゴールドウィン=メイヤーとは、まったく具体的な関係がなくなっていた。
関連事項
[編集]- エドガー・セルフィン (Edgar Selwyn)
- アーチボルド・セルフィン (Archibald Selwyn)
- ソラックス・スタジオ (Solax Studios)
- シューバート・オーガニゼイション (The Shubert Organization)
- リー・シューバート (Lee Shubert)
- マーカス・ロウ (Marcus Loew)
- メトロ・ピクチャーズ (Metro Pictures)
- ルイス・B・メイヤー (Louis B. Mayer)
- サミュエル・ゴールドウィン・スタジオ (Samuel Goldwyn Studio)