ゴツェロ1世 (ロートリンゲン公)
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ゴツェロ1世 Gotzelo I. | |
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下ロートリンゲン公 上ロートリンゲン公 | |
在位 |
下ロートリンゲン公:1023年 - 1044年 上ロートリンゲン公:1033年 - 1044年 |
出生 |
970年頃 |
死去 |
1044年4月19日 |
埋葬 |
神聖ローマ帝国 下ロートリンゲン公領、ムンステルビルゼン修道院 |
子女 |
ゴットフリート3世 ゴツェロ2世 ステファヌス9世 オーダ マティルデ レゲリンデ |
家名 | アルデンヌ家 |
父親 | ヴェルダン伯ゴットフリート1世 |
母親 | マティルデ・ビルング |
ロートリンゲン公ゴツェロ1世(Gotzelo I., 970年頃 - 1044年4月19日)は、下ロートリンゲン公(在位:1023年 - 1044年)、上ロートリンゲン公(在位:1033年 - 1044年)。アルデンヌ家のヴェルダン伯ゴットフリート1世とマティルデ(ザクセン公ヘルマン・ビルング娘)の間の息子。
生涯
[編集]1023年、兄の下ロートリンゲン公ゴットフリート2世が死去し、公位を継承した。皇帝ハインリヒ2世とは常に良好な関係であった。しかし、ハインリヒ2世の後継者であるコンラート2世に対しては、初めは王位継承を認めず、敵対した。
1033年、上ロートリンゲン公フリードリヒ3世が死去し、ブロワ伯ウード2世がロレーヌへの侵攻を試みた。皇帝コンラート2世は上ロートリンゲンを守るため、ゴツェロを上ロートリンゲン公に任じた。ゴツェロは全ロートリンゲンの公となり、コンラートに忠実に仕えた。1037年、ゴツェロはバルの戦いにおいてウード2世を撃退した。
ゴツェロは1044年4月19日に死去し、ムンステルビルゼン修道院に埋葬された。
子女
[編集]- ゴットフリート3世(? - 1069年) - 上ロートリンゲン公(1044年 - 1047年)、トスカーナ辺境伯(1054年 - 1069年)、下ロートリンゲン公(1065年 - 1069年)
- ゴツェロ2世(1008年 - 1046年) - 下ロートリンゲン公(1044年 - 1046年)
- フリードリヒ(? - 1058年) - 教皇ステファヌス9世
- オーダ - ルーヴェン伯ランベール2世(レニエ家)と結婚
- マティルデ(? - 1060年7月17日) - ロートリンゲン宮中伯ハインリヒ1世(エッツォ家)と結婚
- レゲリンデ - ナミュール伯アルベール2世と結婚
参考文献
[編集]- Ernst Steindorff: Gozelo, Herzog von Lothringen. In: Allgemeine Deutsche Biographie (ADB). Band 9, Duncker & Humblot, Leipzig 1879, S. 531 f.
- Fritz Weigle: Gozelo I. In: Neue Deutsche Biographie (NDB). Band 6, Duncker & Humblot, Berlin 1964, ISBN 3-428-00187-7, S. 693 (Digitalisat).
- Michel Parisse: Gozelo, Hzg. v. Lothringen. In: Lexikon des Mittelalters (LexMA). Band 4, Artemis & Winkler, München/Zürich 1989, ISBN 3-7608-8904-2, Sp. 1616.
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