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コーンウォリス・モード (第3代ハワーデン子爵)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

第3代ハワーデン子爵コーンウォリス・モード英語: Cornwallis Maude, 3rd Viscount Hawarden1780年3月27日1856年10月12日)は、イギリスの貴族、政治家。アイルランド貴族代表議員(在任:1836年 – 1856年)、侍従たる議員英語版(在任:1841年 – 1846年、1852年)を歴任した[1]

生涯

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初代ハワーデン子爵コーンウォリス・モードと3人目の妻アン・イザベラ(Anne Isabella、旧姓マンク(Monck)、1759年ごろ – 1851年7月26日、トマス・マンクの娘)の息子として、1780年3月27日に生まれた[1]

1807年2月26日に異母兄トマス・ラルフが死去すると、ハワーデン子爵位を継承した[1]

1810年7月5日、オックスフォード大学より民法学博士英語版の学位を授与された[2]

1836年から1856年に死去するまでアイルランド貴族代表議員を務め、貴族院では保守党に所属した[1]第2次ピール内閣英語版が成立すると、1841年9月15日に侍従たる議員英語版に任命され[3]、1846年まで務めた[1]第1次ダービー伯爵内閣英語版では1852年3月2日に侍従たる議員に任命され[4]、同年12月まで務めた[1]

ジャガイモ飢饉の最中の1846年2月、貴族院1838年アイルランド救貧法英語版の実施状況やアイルランドにおける慈善活動としての医療の実態を調査する委員会が設立され、ハワーデン子爵は委員を務めた[5]

1856年10月12日にセント・ジェームズ・プレイス英語版で死去、息子コーンウォリス英語版が爵位を継承した[1]

家族

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1811年7月8日、ジェーン・クロフォード・ブルース(Jane Craufurd Bruce、1852年3月24日没、パトリック・クロフォード・ブルースの娘)と結婚[1]、1男4女をもうけた[6]

出典

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  1. ^ a b c d e f g h i Cokayne, George Edward; Doubleday, Herbert Arthur; Warrand, Duncan; Howard de Walden, Thomas, eds. (1926). The Complete Peerage, or a history of the House of lords and all its members from the earliest times (Gordon to Hustpierpoint). Vol. 6 (2nd ed.). London: The St. Catherine Press. pp. 411–412.
  2. ^ Foster, Joseph, ed. (1891). Alumni Oxonienses 1715-1886 (L to R) (英語). Vol. 3. Oxford: University of Oxford. p. 930.
  3. ^ "No. 20018". The London Gazette (英語). 17 September 1841. p. 2316.
  4. ^ "No. 21297". The London Gazette (英語). 2 March 1852. p. 670.
  5. ^ "The Dispensaries of Ireland". The Dublin Medical Press (英語). Vol. XV. Dublin: Medical Press Office. 1846. pp. 110–111.
  6. ^ a b c d e Burke, Sir Bernard; Burke, Ashworth P., eds. (1915). A Genealogical and Heraldic History of the Peerage and Baronetage, the Privy Council, Knightage and Companionage (英語) (77th ed.). London: Harrison & Sons. p. 1002.
アイルランドの爵位
先代
トマス・ラルフ・モード
ハワーデン子爵
1807年 – 1856年
次代
コーンウォリス・モード英語版