コンラート3世 (ケルンテン公)
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コンラート3世 Konrad III. | |
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ケルンテン公 | |
在位 | 1056年 - 1061年 |
死去 |
1061年 |
家名 | エッツォ家 |
父親 | ツュルピッヒガウ伯ヘツェリン1世 |
母親 | ケルンテン公コンラート1世の娘? |
ケルンテン公コンラート3世(Konrad III., Herzog von Kärnten, ? - 1061年)またはクーノ(Kuno)[1]は、ケルンテン公[1][2]およびヴェローナ辺境伯(在位:1056年 - 1061年)。
生涯
[編集]コンラートはツュルピッヒガウ伯ヘツェリン1世の息子でロートリンゲン宮中伯ハインリヒ1世の弟である[3]。母はザーリアー家のケルンテン公コンラート1世の娘ではないかと考えられている[3]。
1055年、コンラートは一族の元バイエルン公コンラート1世やヴェルフ家のケルンテン公ヴェルフ3世の皇帝ハインリヒ3世に対する反乱に加わった。それにもかかわらず、1056年にハインリヒ3世が死去した後、ハインリヒ3世の皇后アグネス・フォン・ポワトゥーによって赦され、ケルンテン公位を与えられた[1]。しかし、コンラートはケルンテンに基盤を持たず、在地貴族に支配を及ぼすことができなかった[4]。コンラートはケルンテンに根付くことができないまま、公位を与えられて5年後に死去した。ケルンテン公位はツェーリンゲン家のベルトルト2世に与えられた[5]。
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 瀬原義生 『ドイツ中世前期の歴史像』 文理閣、2012年
- Jackman, Donald C. (2012). The Kleeberg Fragment of the Gleiberg County. Editions Enplage.
- Robinson, I. S. (1999). Henry IV of Germany 1056-1106. Cambridge University Press.
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