コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

コンデ=シュル=ノワロー

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
Condé-sur-Noireau


行政
フランスの旗 フランス
地域圏 (Région) バス=ノルマンディー地域圏
(département) カルヴァドス県
(arrondissement) ヴィール郡
小郡 (canton) 小郡庁所在地
INSEEコード 14174
郵便番号 14110
市長任期 パスカル・アリザール[1]
2014年-2020年
自治体間連合 (fr) fr:Communauté de communes Condé Intercom
人口動態
人口 5 279人
2012年
人口密度 421人/km2
住民の呼称 Condéens
地理
座標 北緯48度51分03秒 西経0度33分00秒 / 北緯48.850833度 西経0.550000度 / 48.850833; -0.550000座標: 北緯48度51分03秒 西経0度33分00秒 / 北緯48.850833度 西経0.550000度 / 48.850833; -0.550000
標高 平均:m
最低:72m
最高:173m
面積 12.53km2
Condé-sur-Noireauの位置(フランス内)
Condé-sur-Noireau
Condé-sur-Noireau
公式サイト www.conde-sur-noireau.com
テンプレートを表示

コンデ=シュル=ノワローCondé-sur-Noireau)は、フランスバス=ノルマンディー地域圏カルヴァドス県の旧コミューン。2016年1月1日より、周辺コミューンとの合併でコンデ=アン=ノルマンディー(Condé-en-Normandie)となった。

地理

[編集]

コンデ=シュル=ノワローはボカージュ・ノルマン地方に属する。そしてシュイス・ノルマンド地方、ボカージュ・フレリアン地方、ボカージュ・ヴィロワ地方と境界を接している。バス=ノルマンディーの景観地図によれば、この地は大部分がシュイス・ノルマンドの中に含まれる。その特徴は、地域の観光イメージを最も表すはっきりとした起伏のある風景である[2]。シュイス・ノルマンドの領域の南西部は、ヴィール川流域に分類される。人口集中地はフレールの北12km、ヴィールの東26km、ファレーズの西30km、カーンの南46kmのところにある[3]

人口集中地を県道562号線が横切る。

コンデ=シュル=ノワローはオルヌ川流域にあたり、その支流ノワロー川が南東を流れる。コミューンの北西から流れるドリュアンス川は、合流する前に人口集中地を横切る。

コンデはバス=ノルマンディーの他の土地と同様に海洋性気候で、冷涼な夏と穏やかな冬がある。

由来

[編集]

町の名は中世にはラテン語化されたCondatensem、1020年代にはCondetensem vicum、その後1106年から1135年にかけてCondati、1236年にはCondeとなった[4]。Condéの名は、ガロ=ローマ語のCONDĀTEがオイル語の中で通常の音声学上の進化を遂げたものである。この地名のタイプは、ガリア語のCondate(合流や再統合)からきている。これは多くのコミューンの名で見受けられ、決定要因は主として河川の名となっている。コンデ=シュル=ユイヌ、コンデ=シュル=イトン、コンデ=シュル=サルトなどがあたる。例外としてコンデ=シュル=リールとコンデ=シュル=スールがあり、川の名がついているものの川はコミューンを通過せず、むしろ一時的に2つの川に分かれる[5]。コンデ=シュル=ノワローの名は、したがってドリュアンス川とノワロー川の合流から派生する。

歴史

[編集]

百年戦争中の1418年、町はイングランド軍によって陥落させられ、ジョン・ファストルフが知事となった。町はその後、ブルターニュフージェールの町を攻撃するための拠点として、フランソワ・ド・シュリエンヌによって採用された。シャルル7世が町を奪還し、ノルマンディー公領全土を獲得したことから、百年戦争は終結へ向かった。

コンデは大規模に宗教改革が行われた最初の町の1つであった。16世紀、新教徒たちは町で数回の集会を開いた。1674年、彼らは地方教会会議を開催した。

ノワロー川とドリュアンス川は、コンデでの活動を好ましいものにした。18世紀以前の町は、ノワロー川上に2つの大きな製粉所があった。ドリュアンス川上には1つの製粉所があった。

18世紀以降、コンデの町は県で最も活気のある町の1つになった。リネン、ベッドリネン、アマの製造は、7000人あまりの労働者を支えていた[6]。カトラリー製造も有名だった。

フランス革命後の国民公会時代、町の名は単なるノワローに改名させられた[7]

19世紀初頭、小さな水車がコンデに移ってきた。1860年代、町は大規模な繊維産業と経済発展が頂点に達していた(8000人の織工、55の油圧ミルがあった)。この発展を支えるために1868年にはシュイス・ノルマンド鉄道が建設され、1874年にはカーンと接続された。一方で、コンデでの活動は最初の困難にみまわれた。アメリカ合衆国南北戦争による海上封鎖は、綿の供給路線の多くを破壊し、唯一紡績だけが1863年には活発だった。

第二次世界大戦では、コンデは最も悲劇的な経験をする。町は空爆によって95%が破壊され、252人の犠牲者が出た。町の復興は、1963年の市庁舎落成式で終わった。

人口統計

[編集]
1962年 1968年 1975年 1982年 1990年 1999年 2007年 2012年
6231 6568 7287 7098 6309 5820 5603 5279

source=1999年までLdh/EHESS/Cassini[7]、2004年以降INSEE[8][9]

史跡

[編集]

姉妹都市

[編集]

ゆかりの人物

[編集]

脚注

[編集]
  1. ^ "L'ancien maire de Condé-sur-Noireau Maurice Piard s'est éteint dimanche". ouest-france.fr. Ouest-France. 2014年12月27日閲覧
  2. ^ {{{1}}} (PDF) "www.basse-normandie.developpement-durable.gouv.fr (Dreal Basse-Normandie) - Les unités de paysage : Unité 7.3.2 : La Suisse normande" (PDF). 2013年10月14日閲覧
  3. ^ Distances routières les plus courtes selon Viamichelin.fr
  4. ^ Ernest Nègre, Toponymie générale de la France (lire en ligne)[1]
  5. ^ René Lepelley, Noms de lieux de Normandie et des îles Anglo-Normandes, Paris, Bonneton,‎ (ISBN 2-86253247-9), p. 85
  6. ^ François Lefaivre, Petite histoire de l'activité industrielle de Condé-sur-Noireau aux XIXe et XXe siècles, Condé-sur-Noireau, Éditions du Petit Chemin,‎ (ISBN 978-2-7546-0027-9), p. 11
  7. ^ a b http://cassini.ehess.fr/cassini/fr/html/fiche.php?select_resultat=10118
  8. ^ http://www.statistiques-locales.insee.fr
  9. ^ http://www.insee.fr