コンダヴィードゥ城
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コンダヴィードゥ城(英語:Kondaveedu Fort, テルグ語:కొండవీడు కోట)は、南インドのアーンドラ・プラデーシュ州、グントゥール県のコンダヴィードゥ村にある城塞。かつてはこの城を中心に都市があった。
歴史
[編集]1323年、カーカティーヤ朝がトゥグルク朝に滅ぼされた際、コンダヴィードゥはその支配下にはいったが、カーカティーヤ朝の家臣が起こしたレッディ王国により、のちに解放された。
14世紀末、レッディ王国が二つに分裂した際、コンダヴィードゥはそのうちの一つの首都となったが、1422年にヴィジャヤナガル王国の手に落ちた。
1458年にはデカンのバフマニー朝の手に落ち、1516年にはヴィジャヤナガル王クリシュナ・デーヴァ・ラーヤによって征服された。
1531年、1537年、1579年にはヴィジャヤナガル王国とゴールコンダ王国との間にこの城をめぐり争いが繰り広げられ、1579年にこの争いに勝利したゴールコンダ王イブラーヒーム・クリー・クトゥブ・シャーは都市と城の名をムルタザーナガル(Murtuzanagar)と改めた。
その後、この城の支配者は目まぐるしく変わり、1687年にはムガル帝国、1752年にはフランス、1766年にはニザーム王国、1788年には最終的にイギリスの支配下に置かれることとなった。
現在、コンダヴィードゥ城は廃墟となっている。