コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

コンスタンティノープルの戦い (378年)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
コンスタンティノープルの戦い
ゴート戦争 (376年–382年)
378
場所コンスタンティノープル, ローマ帝国
結果 ローマ帝国の勝利
衝突した勢力
ローマ帝国 ゴート人
指揮官
アルビア・ドミニカ フリティゲルン

378年のコンスタンティノープルの戦いは、ローマ帝国の首都コンスタンティノープルゴート人が攻撃した戦い。

概要

[編集]

ハドリアノポリスの戦いでローマ軍を大破し帝国東部の皇帝ウァレンスを戦死させたゴート人は、そのままコンスタンティノープルに押し寄せた。この時皇帝の未亡人アルビア・ドミニカは街の守りを固め、アラブ人戦士を防衛にあたらせた[1][2][3]。アラブ人は非常に高い戦闘能力を発揮し、ゴート軍に襲い掛かって敵兵を倒し、頭を落とした敵の死体の首から血を吸ったといい、その様にゴート人は感銘を受けたという[2][3]。一方、ゴート人は数で圧倒的に劣るために戦闘を避けた、とする文献もある[4][5]

最終的に、ゴート人はコンスタンティノープルに侵入することなく、トラキアイリュリアダキアの方面へ撤退していった[6]

脚注

[編集]
  1. ^ Jan Retso (4 July 2013). The Arabs in Antiquity: Their History from the Assyrians to the Umayyads. Routledge. pp. 518–. ISBN 978-1-136-87282-2. https://books.google.com/books?id=a9RN6gE8z40C&pg=PA518 19 August 2013閲覧。 
  2. ^ a b Alexander Van Millingen. Constantinople Painted by Warwick Goble. Library of Alexandria. pp. 15–. ISBN 978-1-4655-2780-6. https://books.google.com/books?id=WCfr6NkKKj4C&pg=PT15 19 August 2013閲覧。 
  3. ^ a b John Marincola (9 February 2009). A Companion to Greek and Roman Historiography. John Wiley & Sons. pp. 548–. ISBN 978-0-470-76628-6. https://books.google.com/books?id=HXSwRG_whNUC&pg=PT548 19 August 2013閲覧。 
  4. ^ Alexander Van Millingen (31 October 2010). Byzantine Constantinople: The Walls of the City and Adjoining Historical Sites. Cambridge University Press. pp. 40–. ISBN 978-1-108-01456-4. https://books.google.com/books?id=x9N39KZn2QAC&pg=PA40 19 August 2013閲覧。 
  5. ^ Stephen Turnbull (21 August 2012). The Walls of Constantinople AD 324-1453. Osprey Publishing. pp. 5–. ISBN 978-1-78200-224-6. https://books.google.com/books?id=p4Ahnz2ltv0C&pg=PA5 19 August 2013閲覧。 
  6. ^ Jane Penrose (2005). Rome and Her Enemies: An Empire Created and Destroyed by War. Osprey Publishing. pp. 269–. ISBN 978-1-84176-932-5. https://books.google.com/books?id=99haLasvV3gC&pg=PA269 19 August 2013閲覧。