コンスタンティノープルの戦い (378年)
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コンスタンティノープルの戦い | |||||||
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ゴート戦争 (376年–382年)中 | |||||||
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衝突した勢力 | |||||||
ローマ帝国 | ゴート人 | ||||||
指揮官 | |||||||
アルビア・ドミニカ | フリティゲルン |
378年のコンスタンティノープルの戦いは、ローマ帝国の首都コンスタンティノープルをゴート人が攻撃した戦い。
概要
[編集]ハドリアノポリスの戦いでローマ軍を大破し帝国東部の皇帝ウァレンスを戦死させたゴート人は、そのままコンスタンティノープルに押し寄せた。この時皇帝の未亡人アルビア・ドミニカは街の守りを固め、アラブ人戦士を防衛にあたらせた[1][2][3]。アラブ人は非常に高い戦闘能力を発揮し、ゴート軍に襲い掛かって敵兵を倒し、頭を落とした敵の死体の首から血を吸ったといい、その様にゴート人は感銘を受けたという[2][3]。一方、ゴート人は数で圧倒的に劣るために戦闘を避けた、とする文献もある[4][5]。
最終的に、ゴート人はコンスタンティノープルに侵入することなく、トラキアやイリュリア、ダキアの方面へ撤退していった[6]。
脚注
[編集]- ^ Jan Retso (4 July 2013). The Arabs in Antiquity: Their History from the Assyrians to the Umayyads. Routledge. pp. 518–. ISBN 978-1-136-87282-2 19 August 2013閲覧。
- ^ a b Alexander Van Millingen. Constantinople Painted by Warwick Goble. Library of Alexandria. pp. 15–. ISBN 978-1-4655-2780-6 19 August 2013閲覧。
- ^ a b John Marincola (9 February 2009). A Companion to Greek and Roman Historiography. John Wiley & Sons. pp. 548–. ISBN 978-0-470-76628-6 19 August 2013閲覧。
- ^ Alexander Van Millingen (31 October 2010). Byzantine Constantinople: The Walls of the City and Adjoining Historical Sites. Cambridge University Press. pp. 40–. ISBN 978-1-108-01456-4 19 August 2013閲覧。
- ^ Stephen Turnbull (21 August 2012). The Walls of Constantinople AD 324-1453. Osprey Publishing. pp. 5–. ISBN 978-1-78200-224-6 19 August 2013閲覧。
- ^ Jane Penrose (2005). Rome and Her Enemies: An Empire Created and Destroyed by War. Osprey Publishing. pp. 269–. ISBN 978-1-84176-932-5 19 August 2013閲覧。