コンスタンス=マリー・シャルパンティエ
コンスタンス=マリー・シャルパンティエ Constance-Marie Charpentier | |
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自画像 | |
誕生日 | 1767年4月4日 |
出生地 | フランス、パリ |
死没年 | 1849年8月3日 |
死没地 | フランス、パリ |
コンスタンス=マリー・シャルパンティエ(Constance-Marie Charpentier、結婚前の名: Constance Marie Blondelu、1767年4月4日 - 1849年8月3日)はフランスの画家である。
略歴[編集]
パリで最も古い通りのひとつの クール・デュ・コメルス・サンタンドレ小路(Cour du Commerce Saint-André)の雑貨屋の娘に生まれた。1786年に父親が亡くなった後、店を売り、母親とコルディエール通り(rue des Cordeliers)に移った。1787年から版画家のヨハン・ゲオルク・ヴィレ(Johann Georg Wille または Jean Georges Wille)に絵を学び、その年の4月、ジャック=ルイ・ダヴィッドの工房に入った。
1793年に革命家、ジョルジュ・ダントンの妻のアントワネット・ガブリエル・ダントンの弟、フランソワ・ヴィクトール・シャルパンティエ(François Victor Charpentier)と結婚し、オデオン通り(Rue de l'Odéon)に住んだ。
風俗画や肖像画を描いた。作品のいくつかは、パリの版画家のマリアージュ(Louis-François Mariage)によって版画にされ出版された[1]。1795年から1819年の間にいろいろな展覧会に13点の作品を出展している。1814年にパリのサロンで金メダルを受賞し、1821年にドゥエーの展覧会で現メダルを受賞している。
メトロポリタン美術館が1917年にジャック=ルイ・ダヴィッドの作品として購入された人物画が、ダヴィッドの作品ではなくシャルパンティエの作品ではないかと議論されたことがあり、20世紀末に結局この作品「マリー・ジョゼフィーヌ・シャルロット・デュ・ヴァル・ドーニュの肖像画」は同時代の女性画家、マリー=ドニーズ・ヴィレールの作品と結論されたが、シャルパンティエの作品で別の男性画家の作品とされているものは幾つかあると考えられている。
作品[編集]
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『メランコリー』(1801)
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アトリエ(1800)
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子供たちに支えられる母親
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Baronesse Dubois
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娘の相談を受ける母親
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さぼっている女中
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真珠を着けた女性
脚注[編集]
参考文献[編集]
- Dictionnaire Bénézit2
- Gildas Dacre-Wright, Constance Charpentier (1767-1849)
- Alexandra K. Wettlaufer, Portraits of the Artist As a Young Woman : Painting and the Novel in France and Britain, 1800-1860, Ohio State University Press, 2011, 338 p., (ISBN 978-0-8142-1145-8)