コフギールーイェ・ブーイェル=アフマド州
コフギールーイェ・ブーイェル=アフマド州 استان کهگیلویه و بویراحمد | |
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位置 | |
統計 | |
州都: • 測地系: |
ヤースージュ • 北緯30度39分58秒 東経51度35分46秒 / 北緯30.6660度 東経51.5962度 |
面積: | 15,504 km² |
人口(2016年) • 人口密度: |
713,052人 • 46.0人/km² |
シャフレスターン数 | 5 |
タイムゾーン: | UTC+3:30 |
主な言語: |
ペルシア語 ボイェル・アフマディー |
ISO 3166-2:IR: | IR-18 |
コフギールーイェ・ブーイェル=アフマド州(コフギールーイェ・ブーイェル=アフマドしゅう、ペルシア語: اسبان کهگیلویه و بویراحمد, ラテン文字転写: Ostān-e Kohgīrūye-o Būyer-Ahmad)は、イランの州(オスターン)。州都はヤースージュ。面積は面積は19,249km²。比較的高地にあり山がちな地域である。人口は71万3052人(2016年国勢調査)[1]。
行政区画
[編集]コフギールーイェ・ブーイェル=アフマド州は4つの郡(シャフレスターン)からなる。
- ブーイェル=アフマド
- コフギールーイェ
- ダナー
- ギャチュサーラーン
歴史
[編集]現在のコフギールーイェ・ブーイェル=アフマド州の住民の多くはモストウフィーの『選史』に名をあげられるイール・ジャーキー族の子孫である。イール・ジャーキー族はアーリア人でインド・イラン語族イラン語群のうちロル語をこの地域にもたらした。
コフギールーイェはアラブの侵入の際にはペルシアの領域の一部であり、ザミーガーンという地方をなしていた。コフギールーイェの人びとは、ヒジュラ暦2世紀終わりから3世紀はじめにかけて、ルーズベという名の長のもとに統合されていた。続いてその子メフルガーン、その弟サルメがコフギールーイェの支配者となった。このときハマーイェガーフという地からこの地に来たギールーイェという者が、サルメの許で権力を築き、サルメが死ぬと政権を握った。彼に対する畏敬の念から、この地域がクーヘ・ギールーイェ(ギールーイェの山)とよび「コフギールーイェ」と呼ばれるようになったのである。ギールーイェ家は少なくともヒジュラ暦346年までコフギールーイェ地域を支配した。
ブーイェル=アフマド地域は、古くはブーイェル=アフマド、ナヴィー、ダシュマン・ズィヤーリー、チェラームの四族で「チャハール・ボニーチェ」と慣用的に呼ばれた人びとの地であった。この地域はヒジュラ暦6世紀には大ロル・アターベク政権の領域の一部となっており、この政権はアブー・ターヒルからはじまり、ヘザーラスプ、ティークリ、コルジェ、パシャング、フーシャング、アフラースィヤーブと続いてこの地を支配した。最後のアター・ベクはギヤース・アッディーン・イブン・カーウース・イブン・フーシャングであったが、ティムール朝のシャー・ルフの子イブラーヒームの軍により、おそらくヒジュラ暦827年には政権を失った。ブーイェル・アフマドの支配者は、その長い歴史のあいだ、たとえばカイ・シャーヒーン、カイ・ハーディー、カイ・アブドゥルハリールのように「カイ」のラカブを名乗ったことで有名である。
観光
[編集]コフギールーイェ・ブーイェル=アフマド州は218の観光地があり、夏でも観光が可能である。
- マールーン、チェラーム、ナーゼムカーン、ベシャール、ザフレ、メフラバーンの諸河川、おおくの泉、その近くにサッデ・クーセル、シャー・ガーセム、シャー・モフタール・ヤースージュなどがある。
- 4000mを越える山頂が40ヵ所
- キャマルドゥーグ・ディーシュムークの滝、メフルヤーン山峡、ギャンジェイェ・ヤースージュ、スーラク・バフマイーの美しい山峡
- チェシュメ・バルギース・チェラーム公園、コフギールーイェおよびビラード・シャープール・デフダシュトのイマームザーデ、ソレイマーン城塞ほか多数の城塞
- タレ・チェガーフ遺跡、アーベ・ギャルムーン、アーベ・ショウラーン、ラーラーンダンの街、諸アーブ・アンバール(伝統的貯水施設)、キャラヴァンサラーイ、城塞、セ・タバゲ墓地、スーラク山峡などがバフマイー山中にある。
- タカーブ山峡はアレクサンドロス3世(大王)とアーリユー・バルザンが遭遇した地。またドフタル、マーンギャシュト、ライースィー、ソレイマーンなど多くの古城塞があり、これをまとめて「デリー・メフルガーン」と呼び、有名である。
- 「ビービー・ハキーメ」廟が有名。イマーム・レザーの妹の廟。ゴチュサーラーン郡にある
あわせて大小18河川、40の清泉と鉱泉、18のガナート、5の滝、3の湖、40の美しい景観をもつ山峡・谷、庭園と緑映える平原、イマームザーデ、ドーム、城塞、キャラヴァンサラーイ、モスク、アーブ・アンバール(伝統的貯水施設)、ゾロアスター教神殿、古い橋や塔などの名所がある。
脚注
[編集]- ^ “Population-and-Households.xlsx”. Iran Data Portal. 2024年5月13日閲覧。
参考文献
[編集]- تقوی مقدم، سیدمصطقی: ''تاریخ سیاسی کهگیلویه''، مؤسسه مطالعات تاریخ معاصر ایران، تهران 1377خ، صص 32-46.
- 1384年4月5日付イスラーム共和国通信のデータより