コナン3世 (ブルターニュ公)
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コナン3世 Conan III | |
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ブルターニュ公 | |
コナン3世の貨幣 | |
在位 | 1112年 - 1148年 |
出生 |
1093/6年 |
死去 |
1148年9月17日 |
配偶者 | マティルダ・フィッツロイ |
子女 |
ベルト オエル3世 コンスタンス |
家名 | コルヌアイユ家 |
父親 | ブルターニュ公アラン4世 |
母親 | エルマンガルド・ダンジュー |
コナン3世(フランス語:Conan III, ブルトン語:Konan III a Vreizh, Konan Kerne, 1093/6年 - 1148年9月17日)は、ブルターニュ公(在位:1112年 - 1148年)。
生涯
[編集]コナン3世はブルターニュ公アラン4世とエルマンガルド・ダンジューの息子である[1]。イングランドの無政府時代の際には、スティーブンと同盟を結んだ[注釈 1][注釈 2]。
1113年以前にイングランド王ヘンリー1世の庶子マティルダと結婚した[2]。
1148年、コナン3世は死の床で息子オエルを庶子とし、自分の嫡子はいないとして、オエルから相続権を奪った。この予期しない出来事により、ベルトが女子相続人となった。しかし、オエルにはナント伯領が与えられた[3]。
子女
[編集]マティルダ・フィッツロイとの間に3子をもうけた。
- ベルト(1114年 - 1155年以降) - 初代リッチモンド伯アラン黒伯と結婚[4][注釈 3]。アランは1146年に死去し、ベルトはブルターニュに戻った。
- オエル3世(1116年 - 1156年) - 相続権を父により奪われた。ナント伯[4]
- コンスタンス(1120年 - 1148年) - マイエンヌ領主ジョフロワ2世と結婚
注釈
[編集]脚注
[編集]- ^ Everard 2004, p. 10.
- ^ Bryan 2016, p. 173.
- ^ Everard 2004, p. 32.
- ^ a b Warren 1977, p. 75.
参考文献
[編集]- Bryan, Elizabeth J. (2016). “Matthew Parker and the Middle English Prose Brut”. The Prose Brut and Other Late Medieval Chronicles. York Medieval Press
- Everard, J. A. (2004). Brittany and the Angevins: Province and Empire 1158–1203. Cambridge University Press
- Warren, Wilfred Lewis (1977). Henry II. Yale University Press
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