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コセ=ダンジュー

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
Cossé-d'Anjou
行政
フランスの旗 フランス
地域圏 (Région) ペイ・ド・ラ・ロワール地域圏
(département) メーヌ=エ=ロワール県
(arrondissement) ショレ郡
小郡 (canton) シュミエ=ムレ小郡
INSEEコード 49111
郵便番号 49120
市長任期 リュック・ペレ[1]
2014年 - 2020年
自治体間連合 (fr) C.C. de la région de Chemillé
人口動態
人口 434人
2012年
人口密度 33人/km2
住民の呼称 Cosséens
地理
座標 北緯47度09分48秒 西経0度40分36秒 / 北緯47.1633333333度 西経0.676666666667度 / 47.1633333333; -0.676666666667座標: 北緯47度09分48秒 西経0度40分36秒 / 北緯47.1633333333度 西経0.676666666667度 / 47.1633333333; -0.676666666667
標高 平均:208m
最低:84m
最高:211 m
面積 13.29km2
Cossé-d'Anjouの位置(フランス内)
Cossé-d'Anjou
Cossé-d'Anjou
テンプレートを表示

コセ=ダンジューCossé-d'Anjou)は、フランスペイ・ド・ラ・ロワール地域圏メーヌ=エ=ロワール県のかつて存在したコミューン

地理

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モージュ地方にあるアンジューのコミューンである。ラ・トゥールランドリーの北に位置する。

由来

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古くはラテン語でCocaiumまたはCozaiacumと記され、その後Cossay、Cosséとなり、1930年よりCossé-d'Anjouとなった。

歴史

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普仏戦争中の1870年11月2日、ガス気球のフルトン号がル・グロアルネックという船員に操縦され、土木技師エルネスト・セザンヌを伴い、プロイセンに包囲されているパリオルレアン駅から飛び立った。345kmの飛行の後、フルトン号はコセ=ダンジューに到着した。

第一次世界大戦では、18人のコセ=ダンジュー出身者が戦死した。第二次世界大戦では犠牲者はなかった[2]

2014年、自治体間連合レジオン・ド・シュミエに加盟するコミューン全てが合併する案が浮上した。2015年7月2日、自治体間連合に加盟する全てのコミューン議会でコミューン・ヌーヴェル(frサルコジ政権時代に成立したフランス国家領土改革法によって、合併して誕生したコミューンの名称)創設の合否を採決、2015年12月15日に新たにシュミエ=アン=アンジューが誕生することになった[3]

人口統計

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1962年 1968年 1975年 1982年 1990年 1999年 2006年 2012年
331 305 291 286 360 407 438 434

source=1999年までLdh/EHESS/Cassini[4]、2004年以降INSEE[5][6]

脚注

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  1. ^ Ouest-France, Luc Pelé, élu nouveau maire de la commune, article du 6 avril 2014
  2. ^ Memorialgenweb.org- Cossé-d'Anjou : monument aux morts, consulté le 2 janvier 2013
  3. ^ Ouest-France (3 July 2015). "Feu vert pour trois communes nouvelles". ouest-france.fr. {{cite web}}: Cite webテンプレートでは|access-date=引数が必須です。 (説明).
  4. ^ http://cassini.ehess.fr/cassini/fr/html/fiche.php?select_resultat=10420
  5. ^ http://www.statistiques-locales.insee.fr
  6. ^ http://www.insee.fr