ゲティスバーグ演説
ゲティスバーグ演説(ゲティスバーグえんぜつ、英: Gettysburg Address)は、南北戦争の最中の1863年11月19日、ペンシルベニア州ゲティスバーグにある国立戦没者墓地の奉献式において、アメリカ合衆国大統領エイブラハム・リンカーンが行った演説。アメリカの歴史において、最も有名な演説の一つとされる。
概要
[編集]奉献式の基調演説はエドワード・エヴァレットが行った。奉献式は本来1863年10月23日水曜日に行われる予定であったが、エヴァレットの要請により11月19日木曜日に延期され、組織委員長のデイヴィッド・ウィルズはリンカーン大統領にも「適切な短いスピーチ」を依頼した。
献納式典では、エヴァレットは基調演説で2時間の大演説を行い、続いてリンカーンが演説を行った。
ゲティスバーグ演説は、272単語1449字という約2分間の極めて短いスピーチであったにもかかわらず、リンカーンの演説の中では最も有名なものであり、また歴代大統領の演説の中でも常に第一に取り上げられるもので、独立宣言、合衆国憲法と並んで、アメリカ史に特別な位置を占める演説となっている。
この日ゲティスバーグにはカメラマンもいたが、マイクロフォンなどない時代、リンカーンの演説が始まってもカメラマンはそれに気づかず、ようやく気づいて写真を撮ろうとした頃にはもう演説が終わっていたという。そのためこの歴史的演説を行っているリンカーンの鮮明な写真は存在しない。また演説そのものはリンカーンが祈るような小さな声で述べ、だれも注目しなかったが、たまたま書き留めていた記者が記事にして後に有名になった。[要出典]
背景
[編集]1863年7月1〜3日のゲティスバーグの戦いによる戦没者の兵士のゲティスバーグ国立墓地の墓への埋葬が10月17日に始まり、リンカーンが式典に招待された。彼はゲティスバーグへの移動中、彼の秘書であるジョン・ヘイに「気分が悪い」と言ったとされ、演説後も激しい頭痛と熱があったことから、リンカーンがゲティスバーグの演説を行ったとき、天然痘の前駆症状にあった可能性が高い。[1]
演説の本文
[編集]リンカーンのスピーチの歴史的重要性にもかかわらず、その正確な言葉遣いには曖昧な点が多く、イベントの新聞記事に掲載された現代の書き起こしやリンカーン自身による手書きのコピーでさえ、言葉遣い、句読点、構造が異なっている。これらのバージョンのうち、スピーチの後に友人への好意として書かれた「ブリスの原稿」は、標準テキストと見なされている。このテキストはリンカーンが演説の前後に作成した書面とは異なるが、リンカーンが署名を添付した唯一のバージョンであり、最後に書いたことが知られている。
Four score and seven years ago our fathers brought forth on this continent, a new nation, conceived in Liberty, and dedicated to the proposition that all men are created equal.Now we are engaged in a great civil war, testing whether that nation, or any nation so conceived and so dedicated, can long endure. We are met on a great battle-field of that war. We have come to dedicate a portion of that field, as a final resting place for those who here gave their lives that that nation might live. It is altogether fitting and proper that we should do this. But, in a larger sense, we can not dedicate—we can not consecrate—we can not hallow—this ground. The brave men, living and dead, who struggled here, have consecrated it, far above our poor power to add or detract. The world will little note, nor long remember what we say here, but it can never forget what they did here. It is for us the living, rather, to be dedicated here to the unfinished work which they who fought here have thus far so nobly advanced. It is rather for us to be here dedicated to the great task remaining before us—that from these honored dead we take increased devotion to that cause for which they gave the last full measure of devotion—that we here highly resolve that these dead shall not have died in vain—that this nation, under God, shall have a new birth of freedom—and that government of the people, by the people, for the people, shall not perish from the earth.
(87年前、我々の父祖たちは、自由の精神に育まれ、人はみな平等に創られているという信条に捧げられた新しい国家を、この大陸に誕生させた。 今我々は、一大内戦のさなかにあり、戦うことにより、自由の精神をはぐくみ、自由の心情にささげられたこの国家が、或いは、このようなあらゆる国家が、長く存続することは可能なのかどうかを試しているわけである。われわれはそのような戦争に一大激戦の地で、相会している。われわれはこの国家が生き永らえるようにと、ここで生命を捧げた人々の最後の安息の場所として、この戦場の一部をささげるためにやって来た。我々がそうすることは、まことに適切であり好ましいことである。 しかし、さらに大きな意味で、我々は、この土地を捧げることはできない。清め捧げることもできない。聖別することもできない。足すことも引くこともできない、我々の貧弱な力を遥かに超越し、生き残った者、戦死した者とを問わず、ここで闘った勇敢な人々がすでに、この土地を清めささげているからである。世界は、我々がここで述べることに、さして注意を払わず、長く記憶に留めることもないだろう。しかし、彼らがここで成した事を決して忘れ去ることはできない。ここで戦った人々が気高くもここまで勇敢に推し進めてきた未完の事業にここでささげるべきは、むしろ生きている我々なのである。我々の目の前に残された偉大な事業にここで身を捧げるべきは、むしろ我々自身なのである。 ――それは、名誉ある戦死者たちが、最後の全力を 尽くして身命を捧げた偉大な大義に対して、彼らの後を受け継いで、我々が一層の献身を決意することであり、これらの戦死者の死を決して無駄にしないために、この国に神の下で自由の新しい誕生を迎えさせるために、そして、人民の人民による人民のための政治を地上から決して絶滅させないために、我々がここで固く決意することである。)
—Abraham Lincoln
(日本語訳はAmerican Center Japan[2]より引用)
5つの原稿
[編集]ゲティスバーグの演説の原稿は現在5つ存在し、それぞれリンカーンから受け取った人にちなんで命名されている。リンカーンは個人秘書のジョン・ニコレイとジョン・ヘイに11月19日の演説の前後に書かれたコピーを渡した。[3]その原稿をさらにコピーしたエヴァレット、バンクロフト、ブリスの原稿は、11月19日以降に慈善目的でリンカーンによって書かれたもので、一部は、リンカーンがタイトルを提供し、ブリスのコピーに署名して日付を記入したため、リンカーンのゲティスバーグ演説の標準テキストとされている。
ニコレイとヘイは、リンカーンの息子ロバート・トッド・リンカーンによって1874年にリンカーンの論文の管理人に任命された[3]。
ニコレイのコピーは彼が亡くなった1901年に、娘ヘレンがヘイに渡した論文の中にあったと思われている。
また、ジョン・ヘイによる書類の中からゲティスバーグ演説の手書きコピーが発見され、これは現在「ヘイ・コピー」または「ヘイ・ドラフト」として知られている。ヘイ・ドラフトは、1894年にジョン・ニコレイが発行したバージョンとは多くの重要な点で異なっていた。異なるタイプの紙に書かれ、行ごとの単語数と行数が異なり、リンカーンの手による修正があった。[3]
ヘイとニコレイのコピーは、文書を酸化と継続的な劣化から保護するために、アルゴンガスで特別に設計され温度制御された密閉容器に入れられて議会図書館内に保管されている。[4]
ニコレイ・コピー
[編集]ニコレイ・コピーは、現存するリンカーンの原稿の最も古いコピーであると考えられている。学者たちは、ニコレイ・コピーが実際にリンカーンが11月19日にゲティスバーグで演説したものの原稿のコピーであるかどうかについて意見が分かれている。スピーチの最初の部分は、11月19日の献辞の前に、リンカーンが罫紙に鉛筆で2ページ目を書いていた。折り目がまだ明らかに確認されており、目撃者がリンカーンがコートのポケットから取り出して式典で読んだと言うコピーであるという可能性を示唆している。しかし、ニコレイ・コピーの単語やフレーズの一部は、リンカーンの元のスピーチ(とされているもの)と一致しないため、失われたと考えている人もいる。例えば、元のスピーチでは「神の下に(under God)」という言葉は、「この国は自由の新たな誕生を...(that this nation shall have a new birth of freedom ...)」というフレーズに含まれていたが、ニコレイ・コピーでは欠落している。ゲティスバーグ演説のこのコピーは、1901年に友人であり同僚であるジョン・ヘイに渡されるまで、ジョン・ニコレイが所有していた。その後はワシントンD.C.にある議会図書館のアメリカの宝物展に展示されている。[5]
ヘイ・コピー
[編集]ヘイ・コピーは、リンカーンの手書きの修正を含んでいることで知られている[3]。ヘイ・コピーの存在は、ジョン・ヘイの論文の中で1906年に初めて公表された。しかし、ジョン・ニコレイが彼の記事で説明した演説の原稿とは多少異なり、リンカーンが追加する単語だけでなく、多くの省略や挿入がリンカーン自身の手によって修正されている。ヘイ・コピーでは、ニコライ・コピーと同じく、「神の下(under God)」という言葉は書かれていない。 ヘイ・コピーは、「セカンドドラフト」と呼ばれることもある。ヘイ・コピーは、演説日の朝、またはリンカーンがワシントンに戻った直後に作成されたとされる。リンカーンは最終的にこのコピーをヘイに渡した。ヘイの子孫は1916年にヘイリーとニコライのコピーを議会図書館に寄付した。
エヴァレット・コピー
[編集]エヴァレット・コピーは、1864年初頭にリンカーンからエドワード・エヴァレットの要望で送られたコピーである。エヴァレットは、ニューヨークの衛生委員会見本市で販売するために、ゲティスバーグの献堂式でのスピーチを1冊にまとめていた。リンカーンが送った原稿は、3番目のサイン入りコピーとなり、現在、イリノイ州スプリングフィールドにあるイリノイ州立歴史図書館が所有しており、エイブラハム・リンカーン大統領博物館に展示されている。
バンクロフト・コピー
[編集]バンクロフト・コピーは、歴史家で元アメリカ合衆国海軍長官のジョージ・バンクロフトの要望で1864年2月にリンカーン大統領によって作られたコピーである。この原稿は、リンカーンからの手紙と、リンカーンが宛名を書いて宛てたオリジナルの封筒の両方を添付した唯一の原稿である。このコピーは長年バンクロフト家に残ったが、1949年にコーネル大学に寄贈された。今はプライベートに所有される唯一のコピーである。
ブリス・コピー
[編集]ブリス・コピーはホワイトハウスのリンカーンルームに展示されている。バンクロフトの義理の息子であり、オートグラフリーブズの出版社であるアレクサンダー・ブリス大佐にちなんで名付けられたブリス・コピーは、リンカーンが署名を添付した唯一の原稿である。リンカーンがゲティスバーグの演説のコピーをこれ以上作成したことは知られていない。リンカーンはこのコピーに署名して日付を記入したため、リンカーンのゲティスバーグ演説の全文はこのブリス・コピーに基づいている。リンカーン記念堂の南壁に刻まれているのはこのブリスコピーの内容である。2008年11月21日から2009年1月1日まで、スミソニアン協会国立アメリカ歴史博物館のアルバートH.スモールドキュメントギャラリーでは、ブリス・コピーを限定公開した。
その他
[編集]リンカーン演説の際に記者ジョセフ・L・ギルバートによって取られた速記があるが、これもいくつかの点で原稿とは異なっている。
ゲティスバーグ演説と日本国憲法
[編集]1946年、GHQ最高司令官として第二次世界大戦後の日本占領の指揮を執ったダグラス・マッカーサーは、GHQによる憲法草案前文に、このゲティスバーグ演説の有名な一節を織り込んだ[要出典]。
Government is a sacred trust of the people, the authority for which is derived from the people, the powers of which are exercised by the representatives of the people, and the benefits of which are enjoyed by the people. — GHQによる憲法草案前文[要文献特定詳細情報]。強調引用者。
この一文がそのまま和訳され、日本国憲法の前文の一部となった[要出典]。
そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものであつて、その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する。 — 日本国憲法前文(一部)強調引用者。
脚注
[編集]- ^ “Abraham Lincoln's Gettysburg illness.”. 2019年10月20日閲覧。
- ^ “国務省出版物 米国の歴史と民主主義の基本文書大統領演説”. American Center Japan. 2019年10月20日閲覧。
- ^ a b c d “Who Stole the Gettysburg Address?”. 2019年10月20日閲覧。
- ^ “Preservation Techniques for Original Drafts”. 2019年10月20日閲覧。
- ^ “American Treasures of the Library of Congress”. 2019年10月20日閲覧。
関連項目
[編集]- ゲティスバーグの戦い
- リンカーン記念館 - ゲティスバーグ演説が記念館南側の内壁面に刻まれている。
- ヘアー (ミュージカル) - このミュージカルの中の"Abie Baby"という曲の中で、ゲティスバーグ演説の冒頭部分が引用されている。なお、"Abie"とはリンカーン (Abraham Lincoln) のことである。
- フランス共和国憲法、第1章第2条に国の原則として採用されている
- 日本国憲法 - 前文の“政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起ることのないようにすることを決意し”の部分に取り入れられている
外部リンク
[編集]- ゲティスバーグ演説・全訳 - ウェイバックマシン(2004年5月18日アーカイブ分)・友清理士 訳(リンク切れ)
- 【ゲティスバーク演説】エイブラハム=リンカーン/岡田晃久訳(プロジェクト杉田玄白)