ゲオルク・ハームス=リュストリンゲン
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ゲオルク・ハームス=リュストリンゲン Georg Harms-Rüstringen | |
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生誕 | 1890年11月2日 |
死没 | 1955年10月14日(64歳没) |
ゲオルク・ハームス=リュストリンゲン(Georg Harms-Rüstringen、1890年11月2日 - 1955年10月14日)はドイツの画家。
略歴
[編集]現在のニーダーザクセン州のヘッペンス(Heppens)、当時、リュストリンゲンと呼ばれていた地域で生まれた。画家の見習いとなり、絵画をオルデンブルク大公、フリードリヒ・アウグストに賞賛された。その時、「リュストリンゲンのハームス」と呼ばれたことから、ハームス=リュストリンゲンを自称するようになった。オルデンブルクの商人たちや、公国から支援を受けてブクステフーデの美術学校で学び、その後、ワイマールの美術院、ミュンヘン美術院で学んだ。学んだ教師たちには、マックス・テディ、フリッツ・マッケンゼンらがいた。
修行を終えて、故郷に戻りアトリエをつくり、ブレーメンやオルデンブルクの展覧会に出展した。画家として成功し、ニーダーザクセン州のヴィルヘルムスハーフェンに「カイザー・フリードリヒ市立美術館」(Kaiser-Friedrich-Kunsthalle、後のKunsthalle Wilhelmshaven)の設立者の一人となるが、第二次世界大戦時のはげしい爆撃で、美術館におさめられていたハームスの作品も失われた。