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ゲイリー・ペイトン2世

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ゲイリー・ペイトン2世
Gary Payton II
ワシントン・ウィザーズでのペイトン
(2020年)
ゴールデンステート・ウォリアーズ  No.8
ポジション PG
所属リーグ NBA
シュート
基本情報
愛称 GP2
The Mitten
Young Glove
国籍 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
生年月日 (1992-12-01) 1992年12月1日(32歳)
出身地 ワシントン州の旗 ワシントン州シアトル
身長 191cm (6 ft 3 in)
体重 88kg (194 lb)
ウィングスパン 203cm  (6 ft 8 in)
キャリア情報
高校 スプリングバレー高等学校
ウェストウィンド・プレップ
大学 ソルトレイクCC英語版
オレゴン州立大学
NBAドラフト 2016年 / ドラフト外
プロ選手期間 2016年–現在
経歴
2016–2017リオグランデバレー・バイパーズ
2017ミルウォーキー・バックス
2017ウィスコンシン・ハード
2018ロサンゼルス・レイカーズ
2018サウスベイ・レイカーズ
2018–2019リオグランデバレー・バイパーズ
2019ワシントン・ウィザーズ
2019キャピタルシティ・ゴーゴー
2019リオグランデバレー・バイパーズ
2019サウスベイ・レイカーズ
2019–2020ワシントン・ウィザーズ
2021ラプターズ・905
2021–2022ゴールデンステート・ウォリアーズ
2022–2023ポートランド・トレイルブレイザーズ
2023ゴールデンステート・ウォリアーズ
受賞歴
  • NBAチャンピオン (2022)
  • NBAGリーグチャンピオン (2019)
  • NBAコミュニティ・アシストアワード (2022)
  • NBAGリーグ最優秀守備選手賞 (2021)
  • NBAGリーグオールディフェンシブチーム (2021)
  • オールアメリカンAP特別賞 (2016)
  • 2× オールPac-12ファーストチーム (2015, 2016)
  • 2× Pac-12最優秀守備選手賞 (2015, 2016)
  • 2× Pac-12オールディフェンシブチーム (2015, 2016)
Stats ウィキデータを編集 Basketball-Reference.com
Stats ウィキデータを編集 NBA.com 選手情報 NBA.Rakuten

ゲイリー・ドウェイン・ペイトン2世Gary Dwayne Payton II, 1992年12月1日 - )は、アメリカ合衆国ワシントン州シアトル出身のプロバスケットボール選手。NBAゴールデンステート・ウォリアーズに所属している。ポジションはポイントガード

父はバスケットボール殿堂入りの名ポイントガードで、シアトル・スーパーソニックスなどで活躍したゲイリー・ペイトンである。

経歴

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2012年にユタ州のソルトレイク・コミュニティーカレッジに入学したペイトンだったが、2014年に父の母校にあたるオレゴン州立大学に転校[1]Pac-12の1stチーム、ディフェンスチーム、最優秀守備選手に2年連続で選出され、親子2代揃ってチームをNCAA男子バスケットボールトーナメントに導く快挙を達成する。更に、年間最優秀ポイントガードに贈られるボブ・クージー賞候補の最終選考に残る[2] など、同大学の中心選手として活躍したペイトンだったが、2016年のNBAドラフトでは、どのチームからも指名を受けることは出来なかった。

ペイトンは同年夏のNBAサマーリーグヒューストン・ロケッツの一員として参加。9月23日にロケッツとトレーニングキャンプに関する契約を締結[3]。28日に正式に選手契約を結んだ[4] が、開幕ロースターに残ることが出来ず、10月24日に解雇[5]。解雇後に傘下のリオグランデバレー・バイパーズに送られ、NBA入りを目指すことになった[6]。そしてDリーグで51得点を記録したペイトンは、2017年4月1日にミルウォーキー・バックスと契約し、念願のNBA入りが実現した[7]

2017年10月14日、バックスから解雇されるが、3日後の17日に再びバックスとツー・ウェイ契約を結ぶ。しかし、12月18日に再び解雇された[8]

2018年1月15日、ロサンゼルス・レイカーズとツー・ウェイ契約を結んだ[9]

2019年12月23日、ワシントン・ウィザーズに移籍。

2021年4月8日、ゴールデンステート・ウォリアーズと10日契約を結んだ。4月19日にウォリアーズと2度目の10日契約を締結。そのままシーズン終了までの契約を勝ち取る。2021-22シーズンも開幕ロースターを勝ち取り、10月24日のサクラメント・キングス戦では、ベンチ出場ながら10得点を記録し、敵地で119-107の勝利に貢献した[10]

シーズンが進むにつれて出場時間を増やし、ウォリアーズにとってなくてはならない戦力となっていたペイトンだが、カンファレンスセミファイナルのメンフィス・グリズリーズ戦でディロン・ブルックスのファウルを受けた際に肘を骨折して、ファイナルまで復帰出来ないとの診断を受けた。

チームが勝ち進む中、ペイトンは地域貢献に尽力した選手に贈られるNBAコミュニティ・アシストアワードを受賞した。

ウォリアーズはNBAファイナルに進み、ペイトンは第2戦から復帰。出場5試合で平均7得点を記録してベンチからの貴重な戦力としてチームの優勝に貢献。サイドラインで歓喜の瞬間を見届けた父親のシニアとともにチャンピオンリングを獲得した史上5組目の親子になった。

シーズン終了後、FAとなったペイトンはポートランド・トレイルブレイザーズと3年2800万ドルの契約に合意し、7月6日に正式にサインした。開幕後はオフの手術の影響で35試合を欠場し出遅れたが、年明けに復帰した。

トレードデッドライン当日の2月9日、ホークス、ピストンズ、ウォリアーズ、ブレイザーズが絡む四角トレードでジェームズ・ワイズマン、二巡目指名権5つとの交換によりウォリアーズに復帰するというトレードがまとまった。が、メディカルチェックの際に怪我が発覚。ブレイザーズはこのことを隠していたとしてトレードは破談になりかけたが、結局ウォリアーズが怪我を承知の上で獲得するということで話がまとまり、無事ウォリアーズに復帰した。2023-24シーズン、怪我の影響で僅か44試合の出場に終わった[11]

個人成績

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略称説明
  GP 出場試合数   GS  先発出場試合数  MPG  平均出場時間
 FG%  フィールドゴール成功率  3P%  スリーポイント成功率  FT%  フリースロー成功率
 RPG  平均リバウンド  APG  平均アシスト  SPG  平均スティール
 BPG  平均ブロック  PPG  平均得点  太字  キャリアハイ
  優勝シーズン  

NBA

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レギュラーシーズン

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シーズン チーム GP GS MPG FG% 3P% FT% RPG APG SPG BPG PPG
2016–17 MIL 6 0 16.5 .364 .111 .600 2.0 2.2 .5 .7 3.3
2017–18 12 6 8.8 .394 .167 .667 1.4 .8 .3 .1 2.5
LAL 11 0 10.5 .415 .308 .167 2.5 1.1 .4 .2 3.5
2018–19 WAS 3 0 5.3 .625 .500 --- .7 1.3 1.0 .3 3.7
2019–20 29 17 14.9 .414 .283 .500 2.8 1.7 1.1 .2 3.9
2020–21 GSW 10 0 4.0 .769 .500 .750 1.1 .1 .6 .1 2.5
2021–22 71 16 17.6 .616 .358 .603 3.5 .9 1.4 .3 7.1
2022–23 POR 15 1 17.0 .585 .529 1.000 2.6 1.5 1.1 .1 4.1
GSW 7 0 16.0 .607 .444 .667 4.3 1.1 .9 .6 5.7
2023–24 44 0 15.5 .563 .364 .609 2.6 1.1 .9 .4 5.5
通算 208 40 14.9 .551 .345 .596 2.8 1.1 1.0 .3 5.2

プレーオフ

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シーズン チーム GP GS MPG FG% 3P% FT% RPG APG SPG BPG PPG
2022 GSW 12 2 16.9 .659 .533 .667 3.1 1.3 1.2 .6 6.5
2023 12 3 16.0 .667 .267 .667 3.7 .8 .7 .5 6.8
通算 24 5 16.5 .663 .400 .667 3.4 1.0 .9 .5 6.7

カレッジ

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シーズン チーム GP GS MPG FG% 3P% FT% RPG APG SPG BPG PPG
2014–15 オレゴンステート 31 30 36.3 .485 .293 .663 7.5 3.2 3.1 1.2 13.4
2015–16 32 32 34.3 .486 .314 .642 7.8 5.0 2.5 0.5 16.0
通算 63 62 35.3 .485 .302 .652 7.7 4.1 2.8 0.8 14.7

家族

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ペイトンには4人の兄弟がおり、その中に「ゲイリー・ペイトン・ジュニア」という兄がいる。そのため自身は「ゲイリー・ペイトン2世」と名付けられた。

父親の番号という事もあって背番号20を避けており、多くのチームで背番号0を選んでいる。なお、ウィザーズで20を着けていた理由は「既に20のユニフォームが用意されていて断れなかったから」との事である。

オレゴン州立大学でシニアの背番号20は永久欠番になっており、2世は背番号1を着けていた。 父親も息子の応援のため度々観戦に訪れていたが、2世にとって大学最後のホームゲームとなるシニアデーのワシントン州立大学戦でサプライズとして背番号20のユニフォームで登場して父親を初めとした観客を驚かせた。(試合は2世の13得点の活躍もあって勝利) 次のUSC戦からは再び背番号1に戻したため1試合限りのサプライズだったが、オレゴン州立大学で最後に背番号20を着けた選手はゲイリー・ペイトン・シニアからゲイリー・ペイトン2世に更新された。

脚注

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外部リンク

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