ケントン・ヌアンタシン
表示
ケントン・ヌアンタシン ເຄນທອງ ນວນທະສິງ | |
---|---|
生誕 |
1955年1月 |
出身校 | ピャチゴルスク教育外国語学校 |
職業 | 官僚、外交官 |
肩書き | 駐日ラオス大使 |
任期 | 2012年 - 2016年 |
前任者 | シートン・チッニョーティン |
ケントン・ヌアンタシン(ラーオ語: ເຄນທອງ ນວນທະສິງ、英語: Khenthong Nuanthasing、1955年1月 - )は、ラオスの外交官。
来歴
[編集]ケントン・ヌアンタシンは、1955年1月に生まれる。1973年にラオス外交部に入省[注 1]。1975年、ソ連のピャチゴルスク教育外国語学校(現、ピャチゴルスク州立言語大学)に入学し、同校にて修士を取得した[1]。1981年に卒業後、ソ連第一課事務官を、翌年、駐ニューヨーク国際連合ラオス政府代表部三等書記官を務める。ラオス国際連合代表部にも、1997年から2001年のあいだ公使参事官として勤務した。1986年からはラオス外務省国際機構上級事務官に、1996年から1997年と2001年から2004年の4年間は、外務省ヨーロッパ・アメリカ部次官に就任する。1991年在アメリカ合衆国ラオス大使館事務官、1994年在オーストラリア、ニュージーランド特命全権大使などを歴任する。2009年に政府報道官を務めたのち、2012年2月にシートン・チッニョーティンに代わり日本駐在ラオス人民民主共和国特命全権大使に任命され、同年4月4日、皇居で天皇徳仁(当時は皇太子)に信任状を捧呈した[2]。2016年7月まで駐日ラオス大使を務めた[3]。
人物
[編集]関連項目
[編集]脚注
[編集]注釈
[編集]- ^ ラオス外務省の前身であるパテットに入省した。
出典
[編集]- ^ “フォーラム案内 NPOフォーラム(例会No.607)”. NPOアクティブミドル 国際協会 (2015年7月). 2016年3月22日閲覧。
- ^ “外務省:新任駐日ラオス人民民主共和国大使の信任状捧呈”. 外務省 (2012年4月4日). 2016年3月22日閲覧。
- ^ 民間外交推進協会 FEC News 2016年8月号
外部リンク
[編集]公職 | ||
---|---|---|
先代 シートン・チッニョーティン |
駐日ラオス大使 2012年 - 2016年 |
次代 ヴィロード・スンダーラー |