ケンタッキー (原子力潜水艦)
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艦歴 | |
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発注 | 1985年8月13日 |
起工 | 1987年12月18日 |
進水 | 1990年8月11日 |
就役 | 1991年7月13日 |
その後 | 就役中 |
母港 | ワシントン州バンゴール |
性能諸元 | |
排水量 | 水上:16,765 トン 水中:18,750 トン |
全長 | 170.69 m (560 ft) |
全幅 | 12.8 m (42 ft) |
喫水 | 11.5 m (38 ft) |
最大速 | 20ノット以上 (37+ km/h) |
潜行深度 | |
機関 | S8G reactor 1基 |
乗員 | 士官13名、兵員140名 |
兵装 | 21インチ魚雷発射管4門 Mk-48魚雷 トライデント II弾道ミサイル24発 |
モットー | Thoroughbred Of The Fleet |
ケンタッキー(USS Kentucky, SSBN-737)は、アメリカ海軍のオハイオ級原子力潜水艦の12番艦。艦名はケンタッキー州に因んで命名された。その名を持つ艦としては、未完成に終わったアイオワ級戦艦6番艦(BB-66)以来3隻目。就役した艦としてはキアサージ級戦艦2番艦(BB-6)以来2隻目。
艦歴
[編集]ケンタッキーの建造は1985年8月13日にコネチカット州グロトンのジェネラル・ダイナミクス・エレクトリック・ボート社に発注され、1987年12月18日に起工した。1990年8月11日にキャロリン・ペネベーカー・ホプキンス(ラリー・J・ホプキンス上院議員の妻)によって命名、進水した。進水式ではシャンパンに代わってケンタッキー・バーボンを特注でブレンドした物が用いられた。1991年7月13日にブルー班のマイケル・G・リーゲル艦長およびゴールド班のジョセフ・ヘンリー艦長の指揮下就役した。
1998年3月19日、ニューヨーク州ロングアイランド南方でケンタッキーはサンフアン(USS San Juan, SSN-751)と衝突事故を起こす。ケンタッキーは方向舵を破損する。サンフアンは前部バラストタンクを破損したが、浮上し港に帰還した。この事故で負傷者は発生しなかった。2隻の潜水艦は当時統合訓練演習中であった。
2005年、ブルー、ゴールド両班の乗組員はアーニー・フレッチャーケンタッキー州知事によってケンタッキー・カーネルの称号が贈られた。
ケンタッキーは2006年に第17潜水艦隊の1隻として「Battle E」を受賞した。
歴代艦長
[編集]- ブルー班
- マイケル・G・リーゲル (Michael G. Riegel) 大佐:1989年8月 - 1992年7月
- ロバート・D・リッシュ (Robert D. Rish) 大佐:1992年7月 - 1994年9月
- リチャード・R・スターク (Richard R. Stark) 大佐:1994年9月 - 1997年3月
- ロイ・H・ハーキンス (Roy H. Harkins) 中佐:1997年3月 - 1999年6月
- パトリック・S・サイデル (Patrick S. Seidel) 中佐:1999年6月 - 2001年2月
- ロナルド・W・マランピー (Ronald W. Malampy) 中佐:2001年2月 - 2004年3月
- ポール・A・スカープネス (Paul A. Skarpness) 中佐:2004年3月 - 2006年9月
- アラン・W・ホールト2世 (Alan W. Holt, II) 中佐:2006年9月 -
- ゴールド班
- ジョセフ・G・ヘンリー (Joseph G. Henry) 大佐:1991年7月 - 1992年12月
- ウィリアム・W・シュミット (William W. Schmidt) 大佐:1992年12月 - 1994年6月
- ウィリアム・E・クック (William E. Cook) 大佐:1994年6月 - 1996年10月
- ティモシー・M・ガイアーディナ (Timothy M. Giardina) 中佐:1996年10月 - 1999年1月
- マイケル・W・マッキナン (Michael W. McKinnon) 中佐:1999年1月 - 2001年7月
- クリストファー・J・ケリー (Christopher J. Kelly) 中佐:2001年7月 - 2004年6月
- ジェフリー・S・コラン (Jeffrey S. Coran) 中佐:2004年6月 -