ケリー・ニコルズ
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プロフィール | |
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別名義 |
Maryanne Marianne |
生年月日 | 1959年6月8日 |
現年齢 | 65歳 |
出身地 | アメリカ合衆国・カリフォルニア州コビーナ |
瞳の色 | 銅青色 |
毛髪の色 | ブラウン |
公称サイズ([1]の時点) | |
身長 / 体重 | 165 cm / ― kg |
スリーサイズ | 91 - 71 - 99 cm |
カップサイズ | C(米国サイズ) |
外部リンク | |
データベース | IMDb |
モデル: テンプレート - カテゴリ |
ケリー・ニコルズ(Kelly Nichols、1959年6月8日 - )は、アメリカ合衆国出身の元ポルノ女優。
来歴
[編集]カリフォルニア州コビーナで生まれ育ち、高校卒業後にパサデナ のカレッジに通い、授業料を捻出するためにヌードモデルを開始。『ザ・ツールボックス・マーダーズ』(1978年) での端役や、1976年リメイク版の『キングコング』でのジェシカ・ラングの代役など、一般向けのハリウッド映画への出演も行った。
ウィリアム・マーゴールドとチャック・ヴィンセントに出会い、1979年にヴィンセントの監督による映画『ザット・ラッキー・スティッフ』でポルノ映画デビューを果たし、それからというもの50本以上のポルノ映画に出演。ヴィンセントのお気に入りの女優となり、XRCO殿堂入り映画『ルーム・メイツ/ブルーコア』など、数多のヴィンセント監督映画に出演している。[1]
1986年に一度ポルノ映画界を離れ、その数年後に復帰し何本かのボンデージとSMの作品に出演した。[1] 1990年代から2000年代にかけてポルノ映画でのセックス無しの役を受け始め、いつしかポルノ映画の脚本および製作を行うようにもなった。
受賞
[編集]- 1983年 AFAA 最優秀主演女優賞 『歓痛する女 (In Love)』[2]
- 1993年 FSC 生涯功労賞
- 1995年 AVN殿堂顕彰[3]
- 1996年 Legends of Erotica[4]
- 1998年 XRCO殿堂顕彰[5]
出演作の一部
[編集]- 1979年 - 『That Lucky Stiff』
- 1980年 - 『下着をつけない女/ボン・アペタイト (Bon appétit)』
- 1980年 - 『セックス・ボート (Sexboat)』
- 1981年 - 『ROOM MATES/ブルーコア (Roommates)』
- 1981年 - 『ダーティー・ワイフ/放蕩 (Games Women Play)』
- 1982年 - 『夢性する女/エロベーション (The Mistress)』
- 1982年 - 『ハード・シンボル/精獣 (Society Affairs)』
- 1983年 - 『ハーレム・アーミー/締め女 (Puss 'n Boots)』
- 1983年 - 『ハリウッド・スキャンダル/悦楽の昼と夜 (Dixie Ray Hollywood Star)』
- 1983年 - 『G線上の快楽/かんつう (Corruption)』
- 1983年 - 『歓痛する女 (In Love)』
- 1984年 - 『A感アクトレス/バック・バイブ (Great Sexpectations)』
- 1985年 - 『タブー・アメリカン・スタイル (Taboo American Style)』
- 1985年 - 『カミングオブエンジェル/発禁女類 (A Coming of Angels, the Sequel)』
- 1985年 - 『エクスタシー・マシーン/もう止まらない (Slip Into Silk)』
脚注
[編集]- ^ a b Luke Is Back: ケリー・ニコルズ
- ^ “Rame awards list” (英語) 2008年8月31日閲覧。
- ^ “AVN殿堂入りメンバー” (英語) 2008年8月31日閲覧。
- ^ “Legends of Erotica” (英語) 2008年8月31日閲覧。
- ^ “XRCO殿堂入りメンバー” (英語) 2008年8月31日閲覧。
外部リンク
[編集]- ケリー・ニコルズ - IMDb
- ケリー・ニコルズ - インターネット・アダルト・フィルム・データベース
- ケリー・ニコルズ - アダルト・フィルム・データベース
- Luke Is Back: ケリー・ニコルズ