ケビン・ローズイヤー
ケビン・ローズイヤー | |
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生年月日 | 1962年1月6日 |
出身地 | ニューヨーク州バッファロー |
死没 |
2015年4月14日(53歳没) テネシー州マーフリーズボロ |
居住 | ニューヨーク州ランカスター |
国籍 | アメリカ合衆国 |
身長 | 193 cm (6 ft 4 in) |
体重 | 120 kg (265 lb) |
階級 |
ヘビー級 (総合格闘技、ボクシング) スーパーヘビー級 (キックボクシング) |
リーチ | 201 cm (79 in) |
スタイル | キックボクシング、ボクシング |
スタンス | オーソドックス |
拠点 | フロリダ州タンパ |
現役期間 |
1980-1999 (キックボクシング) 1989-2001 (ボクシング) 1993-2000 (総合格闘技) |
総合格闘技記録 | |
試合数 | 8 |
勝利 | 2 |
ノックアウト | 1 |
タップアウト | 1 |
敗戦 | 6 |
ノックアウト | 3 |
タップアウト | 3 |
キックボクシング記録 | |
試合数 | 74 |
勝利 | 66 |
ノックアウト | 66 |
敗戦 | 8 |
プロボクシング記録 | |
試合数 | 24 |
勝利 | 7 |
ノックアウト | 6 |
敗戦 | 17 |
ノックアウト | 7 |
その他 | |
総合格闘技記録 - SHERDOG | |
ボクシング記録 - BoxRec |
ケビン・ローズイヤー(Kevin Rosier、1962年1月6日-2015年4月14日)は、アメリカ合衆国のキックボクサー、ボクサー、総合格闘家。
来歴
[編集]キックボクシング及びボクシング
[編集]ローズイヤーの格闘技のキャリアの大部分はキックボクシングのものであり、66勝(全てKO)8敗を挙げた。世界キックボクシング協会 (WKA)の世界スーパーヘビー級チャンピオンを3度獲得し、国際競技空手協会の北米スーパーヘビー級チャンピオンにもなった[1]。1980年代からキックボクシングを始め、1999年5月15日に空位であった国際キックボクシング連盟フルコンタクトルールのスーパーヘビー級世界タイトルをかけた試合でマイク・ラブリーに敗れた試合が最後となった。10ラウンドの26秒で、ラブリーはローズイヤーの頭にショートレフトを叩きこみ、ローズイヤーは膝をついたため、レフェリーは試合を止めた[2]。
プロボクサーとしても1989年から2001年まで12年のキャリアを持ち、7勝17敗の成績を残した。元WBA世界ヘビー級王者ニコライ・ワルーエフとも対戦した(1997年9月27日、KO負け)。
UFC
[編集]1993年に5週間の準備期間でUFC 1に参戦することとなり、ローズイヤーはトレーニングのため、元教え子でキックボクシングの世界チャンピオンであるA.J. Verelの助けを借りた。トーナメントの1回戦で、2度世界キックボクシング連盟スーパーヘビー級チャンピオンになったジーン・フレジャーと対戦することになった[3]。
試合開始後いきなり、ローズイヤーはパンチ、膝蹴り、肘打ちでフレジャーを倒してバックを取ったが[4]、フレジャーは立ち上がって、クリンチ状態で膝蹴りを交換した[3]。その瞬間、髪を引っ張ることや股間への攻撃の規則がなかったことを利用し、フレジャーはローズイヤーにローブローを行って、さらに髪を引っ張った[4][5]。フレジャーは試合を支配し、立ち状態、膝立ち状態で打撃を浴びせ[4]、右手でローズイヤーの顎を砕いた[5]。しかし数分後、スタミナ切れでフレジャーの動きが落ち、ローズイヤーは何発かのパンチでフレジャーをフェンスに追い詰めた。ローズイヤーはフレジャーをマットに倒し、フレジャーのセコンドがタオルを投入するまで、後頭部に何度もパンチやストンピングを叩きこんだ[3][4][5]。
準決勝では、オランダのサバット選手であるジェラルド・ゴルドーと対戦した。ゴルドーはジャブで距離を保ちながら、レッグキックでローズイヤーの膝を狙った。膝と肘の連打でローズイヤーが倒れると、肝臓への2発のストンピングでローズイヤーは降参してマットを叩いた[4]。トーナメントでは敗退したものの、ローズイヤーはゴルドーを称え、この場に戻ってくる希望を表明した[4]。
この試合の後も彼は総合格闘技を続けた。次戦はUFC 4で、ジョー・チャールズと戦ったが、わずか14秒で腕ひしぎ十字固めに沈んだ。その後さらに5戦を行い、1勝を挙げた。その結果、生涯成績は、2勝6敗であった。
後年
[編集]引退後、心臓の開心術や集中治療を必要とする何度もの病気に苦しんだ。2013年8月時点では、容体は安定し、ナッシュビルの引退者用リゾートに住んでいると報じられた。
総合格闘技の戦績
[編集]総合格闘技 戦績 | ||||||
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8 試合 | (T)KO | 一本 | 判定 | その他 | 引き分け | 無効試合 |
2 勝 | 1 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 |
6 敗 | 3 | 3 | 0 | 0 |
勝敗 | 対戦相手 | 試合結果 | 大会名 | 開催年月日 |
× | Brad Gabriel | 1R 1:12 TKO(パンチ) | IFC: Battleground 2000 | 2000年1月22日 |
○ | Joe Bramante | 1R 1:01 リアネイキドチョーク | IFC: Fighters Revenge | 1999年4月2日 |
× | ダン・スバーン | 1R 1:00 関節技 | Cage Combat 1 | 1998年12月8日 |
× | ダン・スバーン | 1R 0:53 TKO(膝蹴り) | Extreme Challenge 15 | 1998年2月27日 |
× | ヒューストン・ドア | 1R 11:10 ギロチンチョーク | IFC 2: Mayhem in Mississippi | 1996年8月23日 |
× | ジョー・チャールズ | 1R 0:14 腕ひしぎ十字固め | UFC 4 | 1994年12月16日 |
× | ジェラルド・ゴルドー | 1R 0:59 TKO(コーナーストップ) | UFC 1 | 1993年11月12日 |
○ | ジーン・フレジャー | 1R 4:20 TKO(ストンピング) | UFC 1 | 1993年11月12日 |
獲得タイトル
[編集]- 1994年 世界キックボクシング協会 (WKA)世界スーパーヘビー級チャンピオン
- 1990年 世界空手道連盟世界スーパーヘビー級チャンピオン
- 1990年 国際競技空手協会北米スーパーヘビー級チャンピオン
- 世界キックボクシング協会 (WKA)世界スーパーヘビー級チャンピオン(3度)
- 1989年 全日本世界チャンピオン
- 1987年 米国カンフー空手国内ノールールトーナメントチャンピオン
出典
[編集]- ^ UFC 1 DVD
- ^ “Where Is He Now...IKF Takes A Look Back At KEVIN ROSIER”. 2010年10月10日閲覧。
- ^ a b c Don Beu, The Ultimate Fighting Championship: Jujutsu and Royce Gracie Reign Supreme at No-Holds-Barred Tournament, Black Belt magazine, March 1994
- ^ a b c d e f Scott Newman (2005年7月6日). “MMA Review: #50: UFC 1: The Beginning”. The Oratory. 2016年11月12日閲覧。
- ^ a b c L. Jon Wertheim (January 5, 2010). Blood in the Cage: Mixed Martial Arts, Pat Miletich, and the Furious Rise of the UFC. Houghton Mifflin Harcourt. ISBN 9780547347226
- ^ Marc Raimondi (2015年4月14日). “UFC 1 veteran Kevin Rosier dead at age 53”. mmafighting.com. 2015年4月14日閲覧。