ケビン・マース
基本情報 | |
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国籍 | アメリカ合衆国 |
出身地 | カリフォルニア州アラメダ郡 |
生年月日 | 1965年1月20日(59歳) |
身長 体重 |
6' 3" =約190.5 cm 205 lb =約93 kg |
選手情報 | |
投球・打席 | 左投左打 |
ポジション | 一塁手、指名打者 |
プロ入り | 1986年 MLBドラフト22巡目 |
初出場 |
MLB / 1990年6月29日 NPB / 1996年6月30日 |
最終出場 |
MLB / 1995年6月20日 NPB / 1996年10月9日 |
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) | |
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この表について
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ケビン・クリスチャン・マース(Kevin Christian Maas、1965年1月20日 - )は、アメリカ合衆国カリフォルニア州出身の元プロ野球選手(内野手)。
経歴
[編集]1986年のMLBドラフト22巡目でニューヨーク・ヤンキースから指名を受け入団。マイナーで順調にキャリアを重ね、1990年6月にドン・マッティングリーの代役としてメジャー初昇格を果たす。なおマイナー時代には1年早く入団していた実兄のジェイソン・マース[注 1]と何度かチームメイトになっている。
メジャー史上最速で10本塁打に到達するなどデビュー直後から本塁打を量産し、大型新人として注目を集めた[1]。またハンサムな容貌から女性人気が高く、マースが本塁打を打つたびにトップスを脱ぎ捨てる女性ファンの集団(マース・トップスと名付けられた)がスタジアムに現れ話題を呼んだこともあった[2]。この年は出場79試合で打率.252、本塁打21本と新人としては上々の成績を収め、新人王投票でもサンディー・アロマー・ジュニアに次ぐ2位に入った[3]。
マッティングリーの後継者として期待を受けたが翌年は伸び悩み、また36試合で6失策と一塁守備にも難が見られたため、復調したマッティングリーに押し出される形で指名打者に回った[4]。それでもチーム2位の23本塁打を放って意地を見せたが、翌1992年は右打ちのジム・レイリッツや新加入のダニー・タータブルと併用され、マースは対右投手での起用となると、1993年にはさらに成績が低迷してレギュラー剥奪、さらにマイナー落ちも経験し、結局1994年シーズン開幕前にヤンキースを解雇された。以降は所属球団を転々としながら主にマイナーリーグでプレーを続けたが、目立った成績は残せなかった。
1996年6月、シーズン途中で解雇されたグレン・デービスとスコット・クールボーの後釜として阪神タイガースに入団する運びとなり、来日。同時に入団したクレイグ・ワーシントンと共に中軸候補として期待を受け、マスコミからは登録名に掛けて「打ってクレイグ、たのんマース」などと書かれた[5]。
残りのシーズンを通してクリーンナップとして積極的に起用されたが、弱点を攻められると脆く、同年限りで退団となった。なお彼の応援歌は似た響きの名前(姓)をもつ名助っ人ランディ・バースの応援歌を流用したものだったが、やがてラリー・パリッシュやロブ・ディアーが用いた応援歌に差し替えられた。
帰国後はマイナーのAAA級で1シーズンプレーしたが奮わず、現役を引退した。現在はアメリカ合衆国の大手証券会社チャールズ・シュワブで財務コンサルタントとして働いている[2]。
詳細情報
[編集]年度別打撃成績
[編集]年 度 |
球 団 |
試 合 |
打 席 |
打 数 |
得 点 |
安 打 |
二 塁 打 |
三 塁 打 |
本 塁 打 |
塁 打 |
打 点 |
盗 塁 |
盗 塁 死 |
犠 打 |
犠 飛 |
四 球 |
敬 遠 |
死 球 |
三 振 |
併 殺 打 |
打 率 |
出 塁 率 |
長 打 率 |
O P S |
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1990 | NYY | 79 | 300 | 254 | 42 | 64 | 9 | 0 | 21 | 136 | 41 | 1 | 2 | 0 | 0 | 43 | 10 | 3 | 76 | 2 | .252 | .367 | .535 | .902 |
1991 | 148 | 592 | 500 | 69 | 110 | 14 | 1 | 23 | 195 | 63 | 5 | 1 | 0 | 5 | 83 | 3 | 4 | 128 | 4 | .220 | .333 | .390 | .723 | |
1992 | 98 | 315 | 286 | 35 | 71 | 12 | 0 | 11 | 116 | 35 | 3 | 1 | 0 | 4 | 25 | 4 | 0 | 63 | 1 | .248 | .305 | .406 | .710 | |
1993 | 59 | 177 | 151 | 20 | 31 | 4 | 0 | 9 | 62 | 25 | 1 | 1 | 0 | 1 | 24 | 2 | 1 | 32 | 2 | .205 | .316 | .411 | .727 | |
1995 | MIN | 22 | 64 | 57 | 5 | 11 | 4 | 0 | 1 | 18 | 5 | 0 | 0 | 0 | 0 | 7 | 2 | 0 | 11 | 4 | .193 | .281 | .316 | .597 |
1996 | 阪神 | 63 | 269 | 241 | 23 | 59 | 8 | 1 | 8 | 93 | 42 | 1 | 1 | 0 | 1 | 26 | 0 | 1 | 60 | 4 | .245 | .320 | .386 | .706 |
MLB:5年 | 406 | 1448 | 1248 | 171 | 287 | 43 | 1 | 65 | 527 | 169 | 10 | 5 | 0 | 10 | 182 | 21 | 8 | 310 | 13 | .230 | .329 | .422 | .752 | |
NPB:1年 | 63 | 269 | 241 | 23 | 59 | 8 | 1 | 8 | 93 | 42 | 1 | 1 | 0 | 1 | 26 | 0 | 1 | 60 | 4 | .245 | .320 | .386 | .706 |
記録
[編集]- NPB
- 初出場・初先発出場:1996年6月30日、対ヤクルトスワローズ15回戦(明治神宮野球場)、4番・一塁手として先発出場
- 初安打:1996年7月2日、対中日ドラゴンズ12回戦(阪神甲子園球場)、4回裏に前田幸長から
- 初打点:同上、8回裏に北野勝則から
- 初本塁打:1996年7月6日、対読売ジャイアンツ15回戦(東京ドーム)、4回表に槙原寛己からソロ
背番号
[編集]- 24 (1990年 - 1993年、1995年)
- 32 (1996年)
脚注
[編集]注釈
[編集]出典
[編集]- ^ “Gloom Lifts as Maas Hits His 11th Homer”. ニューヨーク・タイムズ. (1990年8月7日) 2012年10月14日閲覧。
- ^ a b “Where are they now? Former Yankee Kevin Maas is a solid investment”. ニューヨーク・デイリーニューズ. (2008年8月4日) 2018年12月25日閲覧。
- ^ “1990 Awards Voting”. Baseball-Reference.com. 2012年10月14日閲覧。
- ^ “1991 New York Yankees”. The Baseball Cube. 2012年10月14日閲覧。
- ^ “登録名「ブラゼル」でよかった!「クレイグ」だったら…”. 夕刊フジ. (2010年8月3日) 2012年10月13日閲覧。