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ケスラー姉妹

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
Kessler Twins
ケスラー姉妹
ケスラー姉妹 (2005年)
生誕 ケスラー姉妹(2005年)
(1936-08-20) 1936年8月20日(88歳)
ナチス・ドイツの旗 ドイツ国 ネルハウ英語版
国籍 ドイツの旗 ドイツ
活動期間 1942—
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ケスラー姉妹(1965年、イタリア誌『TV Sorrisi e Canzoni』)
ケスラー姉妹(1966年、アメリカのテレビ番組『ダニー・ケイ・ショー』)

ケスラー姉妹(ケスラーしまい、: Die Kessler-Zwillinge1936年8月20日 - )とは、アリス・ケスラーAlice Kessler)とエレン・ケスラーEllen Kessler)の双子の姉妹から成る歌手ダンサー女優のデュオ。1950年代、60年代から現在までヨーロッパ、とくにドイツイタリアで活躍。

アメリカ合衆国ではあまり知られていないが、1963年公開の映画『ソドムとゴモラ』にダンサーとして出演し、同年の『ライフ』誌の表紙を飾ったことがある。

ケスラーシスターズとして石井好子のプロモーションで来日公演を行った[1]

経歴

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1936年ネルハウ英語版ドイツ国、戦後は東ドイツ)の生まれ。父親パウル、母親エルザ。6歳からバレエを習い始め、11歳でライプツィヒ歌劇場の児童バレエ・プログラムに参加する。18歳になった時、両親が観光ビザを使って西ドイツに亡命。姉妹はデュッセルドルフのレヴュー劇場「パラジウム」の舞台に立つ。1955年から1960年にかけてフランスのキャバレー「リド」に出演、その間、1959年にはユーロビジョン・ソング・コンテスト1959に西ドイツ代表として出場、『Heute Abend wollen wir tanzen geh'n』を歌い8位となった。

1960年にイタリアに活躍の場を移す。徐々に熟女路線への変更を求められ、40歳でイタリアの『プレイボーイ』の表紙に登場、ヌードも披露した[2]

1986年ドイツに戻り、現在はグリューンヴァルトドイツ語版在住。

ショービジネスを通じてドイツとイタリアの友好を発展させたことに対して、両国政府から2つの賞を受賞している。

作品

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音楽

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  • ハートが恋しちゃう/レット・キッスでキッスしてね(日本) - ジャケットの表記はケスラー姉妹

映画

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  • 乞食学生 Der Bettelstudent (1956、西ドイツ)
  • Der Graf von Luxemburg (1957、西ドイツ)
  • Gräfin Mariza (1958、西ドイツ)
  • Les Magiciennes (1960、フランス) - 主演
  • フランス女性と恋愛 La française et l'amour (1960、フランス)
  • バイキングの復讐 Erik the Conqueror (1961、イタリア=フランス)
  • Der Vogelhändler' (1962、西ドイツ)
  • ソドムとゴモラ Sodom and Gomorrah (1962)
  • Hochzeitsnacht im Paradies (1962、オーストリア)
  • 木曜日 Il giovedì (1963、イタリア)
  • Die Tote von Beverly Hills (1964、西ドイツ)

出典

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  1. ^ 『東京の空の下オムレツのにおいは流れる』暮しの手帖社、1998年。ISBN 978-4766000221 
  2. ^ C.M. (2017年9月24日). “Perché le gambe delle gemelle Kessler erano il sogno di tutte? La vera storia delle dive della tv italiana”. ELLE. 2020年3月6日閲覧。

外部リンク

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