グンデルフィンゲン・アン・デア・ドナウ
紋章 | 地図 (郡の位置) |
---|---|
基本情報 | |
連邦州: | バイエルン州 |
行政管区: | シュヴァーベン行政管区 |
郡: | ディリンゲン・アン・デア・ドナウ郡 |
市町村連合体: | グンデルフィンゲン・アン・デア・ドナウ行政共同体 |
緯度経度: | 北緯48度33分12秒 東経10度22分06秒 / 北緯48.55333度 東経10.36833度座標: 北緯48度33分12秒 東経10度22分06秒 / 北緯48.55333度 東経10.36833度 |
標高: | 海抜 438 m |
面積: | 54.06 km2 |
人口: |
8,026人(2023年12月31日現在) [1] |
人口密度: | 148 人/km2 |
郵便番号: | 89423 |
市外局番: | 09073 |
ナンバープレート: | DLG |
自治体コード: |
09 7 73 136 |
行政庁舎の住所: | Prof-Bamann-Str. 22 89423 Gundelfingen a.d.Donau |
ウェブサイト: | www.gundelfingen-donau.de |
首長: | ディーター・ネーゲレ (Dieter Nägele) |
郡内の位置 | |
地図 | |
グンデルフィンゲン・アン・デア・ドナウ(ドイツ語: Gundelfingen an der Donau、公式表記は Gundelfingen a.d.Donau、[ˈgʊnd̩lfɪŋən] ( 音声ファイル)[2])は、ドイツ連邦共和国バイエルン州シュヴァーベン行政管区のディリンゲン・アン・デア・ドナウ郡に属す市で、グンデルフィンゲン・アン・デア・ドナウ行政共同体の本部所在地である。
本市は、ギュンツブルクとディリンゲン・アン・デア・ドナウとの間のドナウ川沿いに位置している。
このシュタウフェン朝の城塞都市は中世に繁栄し、現在も都市景観にその面影を遺している。
地理
[編集]グンデルフィンゲンは、シュヴェービシェ・アルプ辺縁部のドナウタールに位置している。ドナウ川の広い氾濫原、葦原、苔湿地(シュヴェービシェス・ドナウモース)が市域の南部に広がっている。街の中心部をブレンツ川の3本の川筋が通っている。ドナウ川は街の南東部を流れ、堰止め湖を形成している。
本市に隣接する市町村は、ラウインゲン (ドナウ)(ディリンゲン・アン・デア・ドナウ郡)、グントレンミンゲン、オッフィンゲン、ギュンツブルク(以上3市町村はギュンツブルク郡)、ゾントハイム・アン・デア・ブレンツ(ハイデンハイム郡)、ベヒンゲン・アン・デア・ブレンツ、メトリンゲン、ハウンスハイム(以上ディリンゲン・アン・デア・ドナウ郡)である。
市の構成
[編集]本市は、15のゲマインデタイル(村落、集落、開墾地などの小地区)からなる[3][4]。
|
|
|
歴史
[編集]最初の文献記録は750年頃になされている。グンデルフィンゲンは1220年に都市権を獲得した。この頃に3つの門を持つ市壁が建設された。このうち「ウンテーレス・トーア」(直訳: 下の門)が遺っている。
街の歴史の重要点は1462年であった。この年にこの街は、ブランデンブルク=アンスバッハ辺境伯アルブレヒト・アヒレスが率いる皇帝軍の包囲から護ることに成功した。その功績に対してルートヴィヒ富裕公は、この街に広大な土地、税制上の優遇、紋章の特権を与えた。
ランツフート継承戦争後、この街は1505年にプファルツ=ノイブルク公領に組み込まれた。グンデルフィンゲンは1777年から再びバイエルン領となった。
市町村合併
[編集]バイエルン州の地域再編に伴い、1978年5月1日にエヘンブルンとペータースヴェルトが合併した[5]。
1978年の地域再編でグンデルフィンゲン・アン・デア・ドナウ行政共同体が創設された。グンデルフィンゲン・アン・デア・ドナウの他にベヒンゲン・アン・デア・ブレンツ、ハウンスハイム、メトリンゲンがこの行政共同体に属している。これらの所属自治体はそれぞれ自治権(首長)を有している。この行政共同体には約11,600人が暮らしている。グンデルフィンゲン・アン・デア・ドナウの第1市長は、同時にこの行政共同体の長でもある。
住民
[編集]宗教
[編集]人口推移
[編集]1988年から2018年までの間にこの街の人口は、6,556人から 7,796人まで、1,240人、約 18.9 % 増加した。
年 | 1840 | 1900 | 1939 | 1950 | 1961 | 1970 | 1987 | 2011 | 2015 | 2020 | 2022 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
人口(人)[6] | 3,619 | 3,438 | 4,017 | 5,361 | 5,849 | 6,162 | 6,492 | 7,714 | 7,812 | 7,882 | 7,983 |
行政
[編集]議会
[編集]グンデルフィンゲン・アン・デア・ドナウ市の市議会は、20議席の議員と第1市長で構成されている[7]。
首長
[編集]2023年からディーター・ネーゲレが、グンデルフィンゲン・アン・デア・ドナウ市の第1市長を務めている[8]。
紋章
[編集]図柄: 銀地に、赤い冠を被り赤い爪と舌で威嚇する黒い獅子。その胸にはバイエルンの菱形紋をつけ、前脚は根をつけた緑色の木を持っている[9]。
解説: この街は1301年から紋章の使用が許されていた。それは、上下二分割された三角の紋章で、上部に冠を被り歩く獅子、下部に9枚の葉をつけた木が描かれていた。獅子は、バイエルンおよびプファルツ家の紋章動物である。グンデルフィンゲンの紋章の図柄は、1462年にバイエルン=ランツフート公ルートヴィヒ富裕公によって白と青の菱形紋章が胸に書き加えられた。木は、おそらくこの街の名前の由来になった Gundreba で、これはカエデを意味する。紋章の配色は16世紀半ばから受け継がれている。19世紀に広葉樹がモミに置き換えられた。市は1955年以降、1462年の様式の紋章を使用している。
姉妹都市
[編集]本市は、以下の都市と姉妹都市関係にある[10]。
文化と見どころ
[編集]博物館
[編集]- 自動車ベテラン・サロン(自動車博物館)
- フォトミュージアム
- ズデーテンのドイツ人郷土室
- ヴァルクミューレ文化センター(かつての人力製粉小屋にある)
建築
[編集]- 市庁舎。17世紀のルネサンス建築。
- ウンテーレス・トーア(下の門)。14世紀建造。
- 市教区教会聖マルティン教会。この地域で最古の教会の1つ(8世紀)。ゴシック様式で建設され、バロック様式に改築された。1747年にヨハン・ヘールにより描かれた祭壇画「王の賛美」を有する。
- 施療教会。バロック様式の調度を持つ。
- シュラハテク城。かつての宮廷の城。城館礼拝堂を持つ。
- ミュンツミューレ(個人所有)。
- エッヘンブルンのカトリック教区教会マリア・インマクラータ教会。
-
聖マルティン教会
-
シュラハテク城
-
ミュンツミューレ
-
マリア・インマクラータ教会
スポーツ
[編集]スポーツ施設
[編集]- シュヴァーベンシュターディオン
- 郡立体育館
- TV-スポーツゲレンデ
- ブレンツハレ
- 屋内プール
- 野球場
- ウォータースキーおよびウェイクボード施設
- スケート(ローラースケート、スケートボード)施設
- トリム=ディッヒ=プファート(アスレチックコース)
スポーツクラブ
[編集]- FC グンデルフィンゲン
- SSV ペータースヴェルト
- LSV グンデルフィンゲン
- グンデルフィンゲン・シャークス '03 e.V.
- グンデルフィンゲン射撃クラブ
- ディー・グリンケン e.V.
- TV グンデルリンゲン 1863 e.V.(略称 TV グンデルリンゲン)は、バドミントン、バスケットボール、ハンドボール、柔道、陸上競技、水泳、体操、バレーボールの8つの部門がある多種目スポーツクラブである。TV-ハンドボール部門は男子2チーム、女子2チーム、シニアチームがバイエルン・ハンドボール連盟 (BHV) に参加している。
年中行事
[編集]本市は、不定期な間隔で数日間にわたって開催される中世祭と、謝肉祭のイベントで広く知られている。
同じく伝統的なもう一つの祭が、毎年7月にグンデルフィンゲン市礼拝堂で開催される「シュネレフェスト」である。夏に2週間、 TV グンデルフィンゲンのスポーツゲレンデで様々なクラスの100以上のチームが参加して、国際ハンドボール大会が開催される。
経済と社会資本
[編集]交通
[編集]グンデルフィンゲンは、ウルム/エルヒンゲン・ジャンクション (A8/A7) の近くに位置している。両アウトバーンはいずれも約15分で到達できる。連邦道 B16号線はバイパス道路で街を迂回している。グンデルフィンゲンは、ドナウタール鉄道ウルム - ドナウヴェルト線の沿線にあり、アギリスが運行する列車が利用している駅がある。ドナウ自転車道がこの街を通っている。北の市境にグンデルフィンゲン飛行場 (EDMU) がある。
公共機関
[編集]- 病院および連合福祉財団の老人/養護ホーム
- 聖クララ児童教育施設
- 児童教育施設 2園
- モンテッソーリこどもの家
教育
[編集]- ペーター=シュヴァイツァー国民学校(基礎課程学校)
- アム・シュラハテク国民学校
- 市民大学
- 音楽学校
関連図書
[編集]- Wolfgang Wüst, “Der kaiserliche Feldherr und Nürnberger Burggraf Markgraf Albrecht Achilles von Brandenburg (1414–1486)”, Jahrbuch des Historischen Vereins Dillingen 113 (2012/2013): 151–170, ISSN 0073-2699
脚注
[編集]出典
[編集]- ^ https://www.statistikdaten.bayern.de/genesis/online?operation=result&code=12411-003r&leerzeilen=false&language=de Genesis-Online-Datenbank des Bayerischen Landesamtes für Statistik Tabelle 12411-003r Fortschreibung des Bevölkerungsstandes: Gemeinden, Stichtag (Einwohnerzahlen auf Grundlage des Zensus 2011)
- ^ Max Mangold, ed (2005). Duden, Aussprachewörterbuch (6 ed.). Dudenverl. p. 381. ISBN 978-3-411-04066-7
- ^ “Gundelfingen a.d.Donau / bavarikon”. 2024年12月31日閲覧。
- ^ “Stadt Gundelfingen a.d.Donau / Bayern Portal”. 2024年12月31日閲覧。
- ^ Statistisches Bundesamt, ed (1983). Historisches Gemeindeverzeichnis für die Bundesrepublik Deutschland. Namens-, Grenz- und Schlüsselnummernänderungen bei Gemeinden, Kreisen und Regierungsbezirken vom 27.5.1970 bis 31.12.1982. Stuttgart/Mainz: W. Kohlhammer. p. 770. ISBN 978-3-17-003263-7
- ^ “Statistik kommunal 2023 / Stadt Gundelfingen a.d.Donau” (PDF). Bayerisches Landesamt für Statistik. p. 6. 2024年12月31日閲覧。
- ^ “Mitglieder des Stadtrates Gundelfingen a.d.Donau”. Stadt Gundelfingen a.d.Donau. 2024年12月31日閲覧。
- ^ “Stichwahl Bürgermeister Gundelfingen a.d.Donau / 26. März 2023”. 2024年12月31日閲覧。
- ^ “Stadt Gundelfingen a.d.Donau / Bayerns Gemeinden”. Haus der bayerischen Geschichte. 2024年12月31日閲覧。
- ^ “Partnerschaften”. Stadt Gundelfingen an der Donau. 2025年1月1日閲覧。
外部リンク
[編集]- “グンデルフィンゲン・アン・デア・ドナウ市のウェブサイト” (ドイツ語). 2025年1月2日閲覧。
- “Gundelfingen: Historische Spurensuche – Die Junge Pfalz in Bayern”. Haus der Bayerischen Geschichte. 2025年1月2日閲覧。
- (PDF) Statistik kommunal 2023 / Stadt Gundelfingen a.d.Donau, Bayerisches Landesamt für Statistik 2025年1月2日閲覧。