グレゴリオ・アメストイ
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名前 | ||||||
本名 |
グレゴリオ・アメストイ・ケレヘタ Gregorio Ameztoy Querejeta | |||||
ラテン文字 | Gregorio Ameztoy | |||||
基本情報 | ||||||
国籍 |
フィリピン スペイン | |||||
生年月日 | 1916年5月15日 | |||||
出身地 | ラ・カルロタ | |||||
没年月日 | 1972年10月24日(56歳没) | |||||
選手情報 | ||||||
ポジション | MF | |||||
クラブ1 | ||||||
年 | クラブ | 出場 | (得点) | |||
1934-1943 | サラゴサ | 80 | (13) | |||
1943-1947 | アトレティコ・マドリード | 33 | (3) | |||
1947 | ジムナスティック | 3 | (0) | |||
1948 | カステリョン | 0 | (0) | |||
1. 国内リーグ戦に限る。 ■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj |
グレゴリオ・アメストイ・ケレヘタ(Gregorio Ameztoy Querejeta、1910年5月15日 - 1972年10月24日)は、フィリピン・ラ・カルロタ出身の元サッカー選手。ポジションはミッドフィールダー。
ラ・リーガでプレーした最初のアジア人選手[1]。厳密には、1920年代にFCバルセロナで活躍した同じくフィリピン人のパウリーノ・アルカンタラが史上初のアジア人プレーヤーだが、アルカンタラは後にスペイン国籍を取得し、スペインでフル代表デビューしているため、スペイン人とみなすと、このアメストイが歴史上初のラ・リーガでプレーしたアジア人である。
レアル・サラゴサでは公式戦150試合以上に出場し、1935-36シーズンのクラブ初のプリメーラ昇格に貢献した[1]。
脚注
[編集]- ^ a b “Pioner@s del fútbol en España” (スペイン語). アス (2020年10月9日). 2021年3月13日閲覧。
外部リンク
[編集]- グレゴリオ・アメストイ - BDFutbolによる個人成績