グラハム・ナッシュ
グラハム・ナッシュ Graham Nash | |
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2023年 | |
基本情報 | |
出生名 | Graham William Nash |
生誕 | 1942年2月2日(82歳) |
出身地 | イングランド、ランカシャー、ブラックプール |
ジャンル | ポップ、フォークロック |
職業 | シンガーソングライター、写真家 |
担当楽器 | ボーカル、ギター、ピアノ、キーボード、ハーモニカ、ドラムス |
活動期間 | 1960年代 - 現在 |
共同作業者 |
ホリーズ クロスビー、スティルス、ナッシュ&ヤング クロスビー&ナッシュ |
公式サイト | grahamnash.com |
グラハム・ウィリアム・ナッシュ(Graham William Nash OBE、1942年2月2日 - )は、イングランド、ランカシャーのブラックプール出身のミュージシャン、シンガー・ソングライター。日本では基本的に作品のクレジット等で「グラハム・ナッシュ」と表記される事が多いが、書籍等のメディアで「グレアム・ナッシュ」と表記されることも珍しくない。1960年代からホリーズ、クロスビー、スティルス、ナッシュ&ヤングなどのグループで活躍した。プロの写真家でもある。
キャリア
[編集]ホリーズ、CSNY
[編集]1960年代前半にホリーズを結成。バンドのレパートリーの作曲を多く手掛け、グループの中心人物と見做された。ホリーズのサウンド、歌詞におけるヒッピー的な要素は主に彼がもたらしたものである。
しかしながら、あくまでもポップ・バンドとしてヒットチャートを狙うことを期待するマネジメントやレコード会社、"King Midas In Reverse" に象徴されるような彼の音学的進歩がファンに受け入れられないことなどに苛立ち、徐々にホリーズでの活動に対する熱意を失ってゆく(Evolution、Butterfly などの実験的なサウンド作りを推し進めたのもナッシュである)。
1968年、アメリカから帰国後ホリーズを脱退。訪米中に知り合った元バーズのデヴィッド・クロスビー、元バッファロー・スプリングフィールドのスティーヴン・スティルスと新グループクロスビー、スティルス&ナッシュを結成する。最初は3人組であったグループは後にニール・ヤング(元バッファロー・スプリングフィールド)を加えてクロスビー、スティルス、ナッシュ&ヤングとなり、ナッシュはここでさらに世界規模の成功を獲得する。
CSNYのメンバーに「ウィリー」の愛称で呼ばれたナッシュは、バンドのもろい人間関係を補強する接着剤としての役割を果たした。ナッシュは最大の親友であるデヴィッド・クロスビーが1980年代に麻薬中毒で苦しんだ時も、献身的に彼をサポートした。
1983年には、デビュー20周年を記念してホリーズに復帰、2枚のアルバムをリリースした。
ソロ、クロスビー&ナッシュ
[編集]40年以上に亘る音楽キャリアの中で、ナッシュは自分個人名義のアルバムをそれほど多くは制作しておらず、ソロ活動はクロスビー、スティルス&ナッシュ、クロスビー、スティルス、ナッシュ&ヤングの活動再開でしばしば棚上げされた。ナッシュは、1972年からずっとクロスビーとコンビを組んでおり、1977年にCSN再結成までの間、デュオクロスビー&ナッシュとしても活動した。このコンビでは70年代、ナッシュ自身のソロ・アルバムよりも多くのアルバムをリリースしている。
彼自身のソロ作品は、彼のメロディとバラードへの愛情がふんだんに盛り込まれたものが多く、ジャズフィーリングや電子ドラムなど、実験的な音づくりを盛り込んだ作品でも、基本的にはキャッチーなポップミュージックのフォーマットからほとんど外れない作風が特徴である。
活動家として
[編集]ナッシュはクロスビー、スティルス&ナッシュ結成のためにカリフォルニアに移ってから、政治的な活動にも積極的になり、ソロ時代の曲"Military Madness" や "Chicago" などにもその傾向は現れている。彼がクロスビーと共作し、デュオ名義でリリースした "Immigration Man" は、ナッシュがアメリカ滞在中に税関職員との間で起こしたいざこざを題材にしたものである(ナッシュは1978年8月に晴れてアメリカ市民権を獲得した)。
1979年3月にスリーマイル島原子力発電所事故が起きた際には、脱原発と安全なエネルギーの普及促進を訴えるミュージシャンのグループen:Musicians United for Safe Energy (MUSE) を共同設立した[1]。
1997年、クロスビー、スティルス&ナッシュがロックの殿堂入りを果たした。
2000年代以降
[編集]2005年、a-haのアルバム "Analogue" に収録された "Over the Treetops" (ポール・ワークター=サヴォイ作)、"Cosy Prisons" (マグネ・フルホルメン作)の2曲に参加した。
2006年、クロスビーと共にデヴィッド・ギルモアの3枚目のソロ・アルバム『オン・アン・アイランド』のタイトル・トラックに参加した。3月にリリースされた同作はUKチャートの1位に輝いた。ナッシュとクロスビーは、ギルモアのツアーにも同行し、「オン・アン・アイランド」「クレイジー・ダイアモンド」、CSNYの「自由の値」などを歌った。
2008年5月には、アメリカの人気コンテスト番組「アメリカン・アイドル」シーズン7のフィナーレに登場。Top 5で敗退したブルック・ホワイトと共に「ティーチ・ユア・チルドレン」を歌った。
2010年、自身2度目ホリーズがロックの殿堂入りを果たした[2]。同年6月12日には、永年の音楽界での活躍に対しOBEを授与された[3]。
2020年3月29日、新型コロナウイルスの流行により各国で外出禁止の措置がなされる中、自宅からライブ演奏を配信した。「どうか家にいて下さい。手を洗って、コロナウイルスの拡大を防いで下さい」と訴え、「僕達の家」、スティーヴン・スティルスの「4+20」、「ティーチ・ユア・チルドレン」の3曲を演奏した[4]。
ディスコグラフィ
[編集]- ホリーズ、クロスビー、スティルス、ナッシュ&ヤングも参照のこと
ソロ名義
[編集]- Songs for Beginners (Atlantic 1971) US #15
- Wild Tales (Atlantic 1973) US #34
- Earth & Sky (EMI 1980) US #117
- Innocent Eyes (Atlantic 1986) US #136
- Songs for Survivors (Artemis 2002)
- Reflections (Rhino 2009)
- This Path Tonight (Blue Castle Records 2016)
- Now (BMG 2023)
クロスビー&ナッシュ
[編集]- Graham Nash David Crosby (Atlantic 1972)
- Wind on the Water (ABC 1975)
- Whistling Down the Wire (ABC 1976)
- Crosby-Nash Live (ABC 1977)
- The Best of Crosby & Nash (Atlantic 1978)
- Another Stoney Evening (Arista 1998)
- Bittersweet (Hallmark 2002)
- The Best of Crosby & Nash: The ABC Years (MCA 2002)
- Crosby・Nash (Sanctuary 2004)
- Crosby・Nash: Highlights (Sanctuary 2006)
その他
[編集]- Eklektikos Live (2005) - "Our House"
- Francesco Lucarelli - Find The Light (Route61 2010) - Graham sings and plays harmonica on "Mr. Sunshine"
脚注
[編集]- ^ 発起人はナッシュのほかジャクソン・ブラウン、ボニー・レイット、ジョン・ホール(オーリアンズ)
- ^ http://www.rockhall.com/inductees/the-hollies/
- ^ "No. 59446". The London Gazette (Supplement) (英語). 12 June 2010. p. 24.
- ^ “Graham Nash Performs CSNY Hit 'Our House' From Home in New York City - In My Room”. ローリング・ストーン (2020年3月29日). 2020年4月3日閲覧。
参考文献
[編集]- ピーター・ドゲット 著、川村まゆみ 訳『CSNY――クロスビー、スティルス、ナッシュ&ヤングの真実』DU BOOKS、2020年6月26日。ISBN 9784866471044。