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グループ1984年

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

グループ1984年(グループ1984ねん)は、日本の保守派知識人の匿名グループ。1974年から1977年にかけて、『文藝春秋』誌上に7本の論文を掲載した。 7本の論文とは、以下の通りである。

7本の論文

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  • 「日本共産党「民主連合政府綱領」批判」 『文藝春秋』1974年6月号
  • 「日本共産党への再批判」 同誌1974年8月号
  • 「日本の自殺」 同誌1975年2月号(抄録再掲:同誌2012年3月号)
  • 「現代の魔女狩り-日本社会は狂っていないか」 同誌1975年12月号
  • 「魔女狩り的思考の見本―「現代の魔女狩り」への反論を読んで」 同誌1976年2月号
  • 「腐敗の研究」 同誌1976年6月号
  • 「日本の成熟-5700万票の政治学」 同誌1977年2月号

メンバー

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「日本共産党「民主連合政府綱領」批判」 (第1論文)を山崎正和から受け取って『文藝春秋』に掲載した田中健五(当時の同誌編集長)は、グループの中心人物は香山健一であったと明言している(後日、土光敏夫からの著者身元照会を受けて香山を紹介している)が、公文俊平佐藤誠三郎の関与については推測に留めている[1]。大野俊明(1974年3月当時の学習院大学・香山ゼミ生)は香山から托された第1論文の原稿の清書をゼミ生4名で分担して行ったとしており、「日本の自殺」(第3論文)は香山の単独執筆と推測している[2]

名称の由来

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ジョージ・オーウェル『1984年』に由来。[2]

言及

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  • 批判対象となった日本共産党はリジョインダーとして第1論文に対し上田耕一郎工藤晃「民主連合政府綱領批判への反批判」(『文藝春秋』1974年7月号)、第4論文に対し近藤忠孝神崎敏雄「鉄面皮な大企業弁護論--どちらが"魔女狩り"か」(同誌1976年2月号)を寄稿し、第2論文、第5論文はその反批判として書かれた。
  • 石坂啓の作品『エルフ』に、右傾した内容の論文を文芸誌に発表する「グループ一九四〇」が登場する[3]
  • 「日本の自殺」(第3論文)は2度書籍化されている。朝日新聞主筆の若宮啓文が2012年1月10日付けの「朝日新聞」朝刊「座標軸」にて第3論文に触れたことがきっかけとなり、「文藝春秋」誌上での抄録再掲、新書での再出版となった[4]

出典・脚注

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  1. ^ 文春新書版『日本の自殺』、pp. 162-166
  2. ^ a b 文春新書版『日本の自殺』、pp. 167-170
  3. ^ 『エルフ』(1)、p, 144
  4. ^ 「文芸春秋」が37年前の論文「日本の自殺」を再掲載 朝日新聞の「エール」に応える J-CASTニュース 2012年2月10日

参考文献

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  • 毎日新聞政治部 『自民党─転換期の権力』(角川書店、1986年)
  • 宮本太郎 『福祉政治─日本の生活保障とデモクラシー』(有斐閣、2008年)
  • 石坂啓『エルフ』(1)(2)(朝日ソノラマ、1982年)
  • グループ1984年『日本の自殺』(PHP研究所、1984年)
  • グループ一九八四年『日本の自殺』(文藝春秋、2012年)