グリゴル・アバシゼ (詩人)
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グリゴル・アバシゼ | |
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誕生 |
1866年??月??日 ロシア帝国クタイス県ディリカウリ |
死没 |
1903年3月9日 (36–37歳没) ロシア帝国サンクトペテルブルク |
職業 | 詩人 |
言語 | ジョージア語 |
市民権 | ロシア帝国 |
ウィキポータル 文学 |
グリゴル・ダヴィティス・ゼ・アバシゼ(グルジア語: გრიგოლ დავითის ძე აბაშიძე、グルジア語ラテン翻字: Grigol Davitis dze Abashize、1866年 – 1903年3月9日)は、ジョージアの詩人。
生涯
[編集]アバシゼは1880年代の文壇に登場。ジョージア国内の雑誌や新聞と協働し、また演劇脚本や文筆業にも参加した。アバシゼの詩はジョージアの「60年代」文学の伝統に従っており、叙情性と鮮明さが特徴である(『絶望の歌』⦅1900年⦆など)。アバシゼは詩作(『涙の源』⦅1901年⦆、『母』⦅1900年⦆)の他、翻訳(ミハイル・レルモントフの戯曲『ムツイリ』⦅1893年⦆、フランソワ・コッペの『仏陀の燕』⦅1900年⦆、マシュー・アーノルドの『アジアの光』⦅1900年⦆)も手掛けた。
アバシゼの作詞作品は流行歌にもなり、イシュフネリ姉妹やヴァノ・サラジシヴィリの楽曲に使われた(『ああ、真珠』⦅1896年⦆、『涙の時』⦅1899年⦆)。
参考文献
[編集]- ვართაგავა ი., კრიტიკული წერილები, ტ. 1, თბ., 1958;
- ზანდუკელი მ., ლიტერატურული ნარკვევები, ტ. 1, თბ., 1957
- ჟღენტი გ., カルトリ・ソビエト百科事典, 第1巻, 19頁, トビリシ, 1975年.
- ჯიქია ნ., 百科事典『サカルトヴェロ』, 第1巻, 20頁, トビリシ, 1997年.