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グラスホッパー (砲艦)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
HMS グラスホッパー
基本情報
建造所 ソーニクロフト社
運用者  イギリス海軍
級名 ドラゴンフライ級砲艦
艦歴
発注 1937年8月9日
起工 1937年12月29日
進水 1939年1月19日
竣工 1939年6月13日
最期 1942年2月14日に沈没
要目
基準排水量 585ロングトン (594 t)
満載排水量 685ロングトン (696 t)
長さ 196 ft 6 in (59.9 m)
33 ft (10.1 m)
吃水 6 ft 3 in (1.9 m)
主機
  • ボイラー2基
  • パーソンズ式ギアードタービン 2軸
出力 3,800 shp (2,800 kW)
速力 17ノット (31 km/h)
乗員 74
兵装
  • 4インチ砲単装 2基
  • 3.7インチ砲単装 1基
  • .303-インチ (7.7 mm)機銃 8基
ペナントナンバー:T.85
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グラスホッパー (HMS Grasshopper) はイギリス海軍河用砲艦ドラゴンフライ級。グラスホッパーはバッタを意味する。

艦歴

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1937年8月9日、中国の河川に配備されている河用砲艦の代艦の一隻として発注。ウールストンソーニクロフト社で1937年12月29日起工[1][2]。1939年1月19日進水[3]

1939年4月、「グラスホッパー」は自力航行で中国へと向かった[4]。「グラスホッパー」は香港[5]1939年6月1日に就役し[1]、6月13日に竣工した[1]。同月末、「グラスホッパー」はインセクト級砲艦ナット」の代わりとして長江に配備された。「ナット」乗員の一部は「グラスホッパー」に移った。1941年12月に日本が第二次世界大戦に参戦すると、「グラスホッパー」は中国からシンガポールに移された[6]。1942年1月中は「グラスホッパー」はマレー半島の戦いでの連合国軍の撤退を援護した[7]。1月27日からは「グラスホッパー」と「ドラゴンフライ」は日本軍の進軍によって取り残されたイギリス第53歩兵旅団と第15インド歩兵旅団の3000名近くをBatu Pahatの南の沼地から救出した[8]

日本軍によるマレー半島占領後、2隻はシンガポール港へ移動した。2月9日、日本軍はジョホール海峡の横断を開始。激しい戦闘が行われ、シンガポール港内の艦船は多くが脱出した。2月11日の時点では「グラスホッパー」と「ナット」[要検証]が残っている船では最大のものであった。[9]2隻は脱出する人を乗せて2月13日21時にシンガポールからバタビアへ向け出航した[10]。翌日2隻は日本軍の爆撃機の攻撃を受けて「グラスホッパー」に爆弾1発が命中[11]。その後再び攻撃を受けて3度命中弾を受けた「ドラゴンフライ」が沈没[12]。「グラスホッパー」も2度被弾して火災が発生。弾薬庫の隣にまで火災が広がったため総員退艦命令が出された。[13]乗員は日本軍機の機銃掃射を受けながら近くの島へボートで移動し[14]、そこで「ドラゴンフライ」の生存者と合流した[15]。ボートと徴発したTongkangで2月19日に[15][16]オランダ領東インドシンケップ島に着いた。負傷者を残し、二日後にジャンクスマトラ島へ向け出発[16]マラッカ海峡を通ってスマトラ島に到達し、Indragiri川をさかのぼった[17]。川幅が狭くなりジャンクで進めなくなると船から降り[18]、ジャングル内を歩いて進んだが、日本軍の支配地域に入ってしまい捕らえられた[19]

乗員のうち二人はスマトラ島へ向かわなかった。二人はイギリス海軍予備員一人、イギリス陸軍兵二人と合流した。彼らは日本軍と問題が起きることを避けるためSelayar島へ送られた[20]。そこで船を提供され [21]、彼らはマドラスへ向かうことを決めた[22]。そして、17日間の旅の末にインドにたどり着いた[23]

脚注

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  1. ^ a b c Lenton (1998), p. 270
  2. ^ “New Ships”. The Times (London) (48197): p. 21. (7 January 1939) 
  3. ^ “Three Launches To-Day”. The Times (London) (48207): p. 8. (19 January 1939) 
  4. ^ “New River Gunboats”. The Times (London) (48279): p. 9. (14 April 1939) 
  5. ^ NMM, vessel ID 367817”. Warship Histories, vol vi. National Maritime Museum. 19 September 2013閲覧。
  6. ^ Varley (1973): p. 43
  7. ^ Varley (1973): p. 48
  8. ^ Shores, Cull & Izawa (1992), p. 347
  9. ^ Varley (1973): p. 51
  10. ^ Varley (1973): p. 54
  11. ^ Varley (1973): p. 57
  12. ^ “Chief Petty Officer Leonard Williams”. The Times (London). (22 January 2007). オリジナルの9 November 2010時点におけるアーカイブ。. https://webcitation.org/5u7JUZDMv 15 September 2013閲覧。 
  13. ^ Varley (1973): p. 58
  14. ^ Varley (1973): p. 60
  15. ^ a b Coates, Col. J.B.. “Malaya”. The Queen's Royal Surreys Regiment. 15 September 2013閲覧。
  16. ^ a b Varley (1973): p. 64
  17. ^ Varley (1973): p. 65
  18. ^ Varley (1973): p. 66
  19. ^ Fryer, Jane (13 August 2010). “Judy, the dogged PoW who defied the Japanese”. Daily Mail. オリジナルの9 November 2010時点におけるアーカイブ。. https://webcitation.org/5u7KEPqWs 15 September 2013閲覧。 
  20. ^ Varley (1973): p. 141
  21. ^ Varley (1973): p. 143
  22. ^ Varley (1973): p. 144
  23. ^ Varley (1973): p. 152

参考文献

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  • Gardiner, Robert & Gray, Randal, eds (1984). Conway's All the World's Fighting Ships: 1906–1922. Annapolis, Maryland: Naval Institute Press. ISBN 0-85177-245-5 
  • Lenton, H. T. (1998). British & Empire Warships of the Second World War. Annapolis, Maryland: Naval Institute Press. ISBN 1-55750-048-7 
  • Shores, Christopher; Cull, Brian & Izawa, Yasuho (1992). Bloody Shambles. I: The Drift to War to the Fall of Singapore. London: Grub Street. ISBN 0-948817-50-X 
  • Shores, Christopher; Cull, Brian & Izawa, Yasuho (1993). Bloody Shambles. II: The Defence of Sumatra to the Fall of Burma. London: Grub Street. ISBN 0-948817-67-4 
  • Varley, Edwin (1973). James, Wendy. ed. The Judy Story: The Dog with Six Lives. London: Souvenir Press. ISBN 978-0-285-62121-3 

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