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グナエウス・コルネリウス・ドラベッラ (紀元前159年の執政官)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

グナエウス・コルネリウス・ドラベッラ
Cn. Cornelius Cn. f. Cn. n. Dolabella[1]
出生 不明
死没 不明
出身階級 パトリキ
氏族 コルネリウス氏族
官職
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グナエウス・コルネリウス・ドラベッララテン語: Gnaeus Cornelius Dolabella、生没年不詳)は 、紀元前2世紀中頃の共和政ローマ政務官紀元前159年コンスル(執政官)を務めた。

出自

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パトリキ(貴族)である、コルネリウス氏族の出身。ドラベッラというコグノーメン(第三名、家族名)が確認できるのは、紀元前283年の執政官プブリウス・コルネリウス・ドラベッラが最初である。コグノーメンは、ラテン語の「dolabra」(斧)に由来すると思われる[2]

カピトリヌスのファスティによれば、ドラベッラの父も祖父も、プラエノーメン(第一名、個人名)はグナエウスである[3]。父グナエウスは、紀元前208年から紀元前180年まで、レクス・サクロルム(Rex Sacrorum、祭儀監督官)を務めた。

経歴

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紀元前165年アエディリス・クルリス(上級按察官)に就任した。同僚にはセクストゥス・ユリウス・カエサルがいた。この年のメガレシア祭で、テレンティウスの『義母』が初演された[4][5]。しかしながら大変に不評で、第一幕と第二幕の間に、多くの観客が劇場を出て綱渡りと剣闘士競技を見に行った。

紀元前162年プラエトル(法務官)を務め、紀元前159年に執政官となった。同僚のプレプス(平民)執政官はマルクス・フルウィウス・ノビリオルであった。二人は賄賂禁止法(コルネリウス・フルウィウス法、Lex Cornelia Fulvia de ambitu)を制定している[6]

子孫

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息子グナエウスは、ルキウス・アップレイウス・サトゥルニヌスの義兄弟と言われている。紀元前81年の執政官グナエウス・コルネリウス・ドラベッラは、孫である。

脚注

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  1. ^ MRR1, p. 445.
  2. ^ Ernst Badian, p. 48-51.
  3. ^ カピトリヌスのファスティ
  4. ^ Titul. Hecyr. Ter.
  5. ^ Didasc. Ter. Hec.
  6. ^ リウィウス『ローマ建国史』、Periochs 47

古代の資料

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研究書

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  • Ernst Badian : The Dolabella of the Republic. In: Papers of the British School at Rome . New Series, Vol. 20, 1965
  • T. R. S. Broughton (1951). The Magistrates of the Roman Republic Vol.1. American Philological Association 

関連項目

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公職
先代
マルクス・コルネリウス・ケテグス
ルキウス・アニキウス・ガッルス
執政官
同僚:マルクス・フルウィウス・ノビリオル
紀元前159年
次代
マルクス・アエミリウス・レピドゥス
ガイウス・ポピッリウス・ラエナス