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グエルチーノ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
グエルチーノ
『自画像』(1635年頃)
ルーヴル美術館
生誕 Giovanni Francesco Barbieri
(1591-02-08) 1591年2月8日
チェント
死没 1666年12月22日(1666-12-22)(75歳没)
ボローニャ
国籍 イタリアの旗 イタリア
運動・動向 バロック
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グエルチーノ『われアルカディアにもありき』(1618年 - 1622年)ローマ国立古典絵画館

グエルチーノGuercino)ことジョヴァンニ・フランチェスコ・バルビエーリGiovanni Francesco Barbieri, 1591年2月8日 - 1666年12月22日[1])は、バロック期のイタリア画家エミリアの出身で、ローマボローニャで活動した。グエルチーノという言葉は「やぶにらみ」という意味で、彼が斜視だったことからつけられたあだ名である。グエルチーノは、とくにその超一流のスケッチで注目に値する。

生涯

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グエルチーノは、ボローニャとフェラーラの間に位置するチェントという村で生まれた。17歳になった時には、ボローニャ派の画家ベネデット・ジェンナーリ(en:Benedetto Gennari)と仲間になっていた。1615年にはボローニャに住んでいて、そこでグエルチーノの絵は、年上のルドヴィコ・カラッチの賞賛を得ていた。グエルチーノは2つの巨大な絵をカンヴァスに描いた。『ペリシテ人に捕えられるサムソン』(1619年、メトロポリタン美術館) と、『カラスに食事を奪われるエリヤ』(1620年[2]である。その絵の中には自然主義画家カラヴァッジオ風のスタイルが見られる(もっともグエルチーノがローマにあるカラヴァッジオ自筆の絵を見ることができた可能性は低い)。なお、この2点はフェラーラに来ていた教皇特使セッラ枢機卿のために描かれたものである。

われアルカディアにもありき』は1618年、ピッティ宮殿にある『アポロに皮をはがれるマルシュアス』と同時期に描かれた[3]。彼自身がよく言っていたことだが、グエルチーノの初期のスタイルはチェントのアンニーバレ・カラッチの影響を受けている。それが後期の作品となると、彼と同時代の巨匠グイド・レーニの作風に接近し、より明るく明瞭な絵を描くようになってゆく。ちなみに、生前グエルチーノは大変高い評価を受けていた。

バビロンの反乱の報告を受けるセミラミス』(1624年)カラヴァッジオの影響が明らかである。ボストン美術館所蔵

それからグエルチーノは、エンツォ・ベンティヴォーリョ侯爵によって、ボローニャのルドヴィシオ家出身のローマ教皇グレゴリウス15世の元に推薦された。ローマで過ごした1621年から1623年の間、グエルチーノはたくさんの絵を描いた。カシーノ・デ・ヴィラ・ボンコンパーニ・ルドヴィージフレスコ画『アウロラ』(1621年)、サン・クリソゴーノ教会の天井画『栄光の聖クリュソゴヌス』(1622年)、『グレゴリウス15世の肖像画』(現在J・ポール・ゲティ美術館にある)、そしてグエルチーノの傑作と言われている、バチカンのために描かれた『聖ペトロニラの埋葬(聖ペトロニラの祭壇画)』(現在カピトリーノ美術館にある)、などなど。

グレゴリウス15世が没すると、グエルチーノはチェントへ帰郷した。1626年にはピアチェンツァ大聖堂にも複数のフレスコ画を描きはじめた。1642年のグイド・レーニの死後、グエルチーノは工房をボローニャに移し、街の主要な画家となった。

レッジョフランシスコ修道会は、1655年、グエルチーノの祭壇画『聖母子の絵を見せる聖ルカ』に300ダカット金貨を支払った(現在この絵はミズーリ州カンザスシティネルソン・アトキンス美術館にある)。コルシーニ家も1657年に『キリストの鞭打ち』の代金として、グエルーノに300ダカット金貨を支払った。

グエルチーノは絵を仕上げるのが異常なくらい早かった。教会のために描いた巨大な祭壇画の数も106点はあり、それ以外の絵の合計もおよそ144点あった。彼はまた優れたデッサンを数多く描いた。彼の作品には多くの素描(普通はインク、薄めたインク、紅殻チョークによる)が含まれている。グエルチーノは1666年に亡くなるまで、絵を描き、教え続け、相当な財を成した。

ギャラリー

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脚注

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  1. ^ Il Guercino Italian artist Encyclopædia Britannica
  2. ^ "Elijah Fed by Ravens" - The Natioanl Gallery (Lomdon)
  3. ^ RHEDESIUM TIME, TRUTH & POUSSIN’S ARCADIAN TOMB(ページの1/4あたりに2つの絵が上下に並んでいて、面白いことに気付く)

参考文献

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外部リンク

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