クロディウス・アルビヌス
デキムス・クロディウス・アルビヌス(ラテン語: Decimus Clodius Albinus, 150年頃 - 197年2月19日)は、ローマ帝国の軍人・政治家であり、内戦時期にブリタンニアとヒスパニアの軍団の支持により皇帝を僭称(インペラトル・カエサル・デキムス・クロディウス・セプティミウス・クロディウス・アルビヌス・アウグストゥス、ラテン語: Imperator Caesar Decimus Clodius Septimius Albinus Augustus)した。
生涯
[編集]デキムス・クロディウス・アルビヌスはアフリカ属州のハドルメントゥム(現:スース)の出身であり、貴族階級の出自であったとされる。身体が白かったこともあって、若年時より「アルビヌス」(ラテン語: Albinus)と呼ばれた。175年に皇帝マルクス・アウレリウス・アントニヌスに対して反乱を起こしたガイウス・アウィディウス・カッシウスの討伐にも従軍して功績を挙げた。コンモドゥス帝の時代はガリア・ベルギカおよびブリタンニア各属州総督を歴任した。
193年に皇帝ペルティナクスがプラエトリアニによって殺害されると、プラエフェクトゥス・プラエトリオであったクィントゥス・アエミリウス・ラエトゥスは帝位を競売にかけるという前代未聞の行為に及んだ。そしてディディウス・ユリアヌスとティトゥス・フラウィウス・スルピキアヌスが応札して、ユリアヌスが競り落としたが、国境に赴任する軍団兵の意向を全く無視したものであった。これにより、現地で支持を受けた軍司令官が皇帝を自認して乱立した。
内戦の中でアルビヌスもブリタンニア属州で皇帝号を僭称した。しかし、ユリアヌスを倒してローマを押さえたセプティミウス・セウェルスと盟約を結び、皇帝の自称を放棄して改めてセウェルスから副帝(カエサル)の称号を獲得。194年にはセウェルスと共同で執政官を務めた。アルビヌスは帝国西部をほどよく治め、ブリタンニアとヒスパニア双方の軍団の支持を受けた。
194年、シリア属州総督で皇帝号を僭称していたペスケンニウス・ニゲルがセウェルスとの戦いに敗れて死ぬ。さらに、ニゲルに協力していたパルティアを196年までにセウェルスが撃破すると、セウェルスとアルビヌスの間の盟約は破棄され、両者は争うようになる。
196年、アルビヌスは再び皇帝を僭称して、任地のブリタンニアからガリアに向けて進軍、ウィリウス・ルプスを破る。しかし197年2月、ルグドゥヌムの戦いでセウェルスに敗れ、自死した。
アルビヌスには妻と子供(1人または2人)がいたが、アルビヌスが死亡した後にセウェルスによって処刑された。