クレセンテ
自治体庁舎 | |
州 | ガリシア州 |
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県 | ポンテベドラ県 |
コマルカ | ア・パラダンタ |
人口 | 2,540 人 (2010年) |
住民呼称 | crecentense |
ガリシア語率 | 98.32% (2011年[1]) |
北緯42度09分09秒 西経8度13分21秒 / 北緯42.15250度 西経8.22250度座標: 北緯42度09分09秒 西経8度13分21秒 / 北緯42.15250度 西経8.22250度
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クレセンテ(Crecente)は、スペイン、ガリシア州、ポンテベドラ県の自治体、コマルカ・ダ・パラダンタに属する。スペイン国立統計局によると、2010年の人口は2,540人(2009年:2,596人)。住民呼称は、男女同形のcrecentense。カスティーリャ語による表記はCreciente(クレシエンテ)。
ガリシア語話者の自治体住民に占める割合は98.32%(2001年)。
地理
[編集]クレセンテはポンテベドラ県の南東部に位置し、コマルカ・ダ・パラダンタに属する。隣接する自治体は、西がア・カニーサとアルボ、そして北がオウレンセ県のメロンとリバダビアと、東がオウレンセ県のコルテガーダとポンテデーバとパドレンダの各自治体と隣接、南はミーニョ川をはさんでポルトガルと接している。自治体の中心地区はクレセンテ教区のクレセンテ地区[2]。
人口
[編集]クレセンテの人口推移 1900-2010 |
出典:INE(スペイン国立統計局)1900年 - 1991年[3]、1996年 - [4] |
歴史
[編集]隣接自治体アルボとの境界地域の山中で、ペトログリフが発見されている。鉄器時代のカストロ文化の遺構としてはキンテーラ教区のシダのカストロが残されており、発見された遺物は、現在ポンテベドラの県立博物館とビーゴの市立キニョーネス・デ・レオン博物館で見ることができる。
古代にはこの地域はトゥロニオ地域に属していた。
カスティーリャ=レオン王フェルナンド4世によってフェルナンド・イアニェスにクレセンテの領主権が授与され、1642年にはスペイン王フェリペ4世によってバルタサール・デ・ソトマジョールにクレセンテ伯領が与えられた。
フォルネーロス城は、ポルトガルの独立をめぐってカスティーリャ王アルフォンソ7世と初代ポルトガル王アフォンソ1世の間で戦われた戦いに起源をもつ。現在塔が残されている。
政治
[編集]自治体首長は、ガリシア国民党(PPdeG)のフリオ・セサル・ガルシーア・ルエンゴ・ペレス(Julio César García Luengo Pérez)、自治体評議員はガリシア国民党:7、ガリシア社会党(PSdeG-PSOE):2、ガリシア民族主義ブロック(BNG):2となっている(2007年自治体選挙結果、得票順)。
教区
[編集]クレセンテは11の教区に分けられている。太字は自治体中心地区のある教区[2]。
- アルベーオス(サン・ショアン)
- ア・アメイシェイラ(サン・バルトロメウ)
- アングーデス(サン・ショアン)
- クレセンテ(サン・ペドロ)
- フィルゲイラ(サン・ペドロ)
- オ・フレイショ(サン・ローケ)
- キンテーラ(サン・カエターノ)
- レボルデチャン(サンタ・マリーア)
- リベイラ(サンタ・マリーニャ)
- センデージェ(サンタ・クルス)
- ビラール(サン・ショルシェ)
参考文献
[編集]- ^ Neira, Carlos (ガリシア語), Evolución no uso do galego por concellos, Praza Pública.
- ^ a b Dicionario Xeográfico Ilustrado de Galicia vol.9、p.138-140、Xeogal Publicacións、2009、ISBN 978-84-613-5819-9
- ^ Poblaciones de hecho desde 1900 hasta 1991. Cifras oficiales de los Censos respectivos.
- ^ Cifras oficiales de población resultantes de la revisión del Padrón municipal a 1 de enero.